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水谷三公『丸山真男−ある時代の肖像』ちくま新書 2004年 ISBN:4480061843
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本書は、戦後日本の論壇に終始影響を及ぼしてきた丸山真男の時論を取り上げ、「できればしたかった質問をならべ、質問趣旨を敷延」するというスタイルを取っている。丸山にも多くの錯誤や不明があった。しかし、誤りそのものではなく、丸山はどうして誤ったのか、なぜそうなったのか、いつそれに気づき、それをどう考えたのかについて、著者は自問自答し続ける。望んでも本人からの答えが得られない以上、読者は著者と同様,歯がゆさを感じざるをえないが、こうした問い掛けが繰り返されることにこそ、思想史の醍醐味がある。その意味で、「先生と私」と題された第一章の私的回顧も含め、本書は間違いなく「思想家」丸山真男をめぐる一つの思想史である。 著者は、「戦後政治の文脈の中で丸山を見る場合、マルクス主義的革命気分や共産主義運動に対抗し、代替しうるもう一つの磁極を提供しつづけてきた点が私には印象的である」(第二章)と延べ、とくにラスキと丸山の関係を取り上げる。しかし、著者によれば、ラスキはある種の傾斜をもった「思想家」でもあった。それゆえ「ラスキの時代」の丸山が、時流に巻き込まれ、その後まったく違った「思想家」丸山を誕生させ、思想史家としての丸山も変えてしまった可能性があったことが指摘される。しかし丸山が、かろうじて傾斜を滑り落ちずに踏み止まりえたのは、福沢諭吉とも共鳴する「痩せ我慢」であった。この丸山評価は、本書全体に通底している。 第三章「戦争と平和」では、おもに朝鮮戦争を巡る当時の、そして、その後の言説が取り上げられ、丸山の生来の主張であるパワー・ポリティックス批判と憲法九条の理念的称揚が、国際政治の現実に向かい合ったとき、いかに甘かったかが抉り出される。「そもそも丸山のような個人の自主・自律を重んじる人が、中・ソ占領下の日本で活動し、生き残れただろうか」という著者の問い掛けは重い。これは「リベラルと反共」をテーマにした第四章で、「超国家主義」・「天皇制ファシズム」とナチズムやコミュニズムとのイデオロギーの差異、あるいは日本人であるかどうかというナショナリズムの問題とも無関係に、「(自分ならば)かつてのソ連やナチの強制収容所よりも、治安維持法下の日本の刑務所や留置所を選ぶ」と言い切る著者の判断にも繋がる。 丸山を「戦後民主主義の思想的枠組みの形成にとり最大の貢献者」と評価する向きには、本書は相当手厳しい。しかし、こうした批判なくしては、戦後日本が見た夢と現実もまた明らかにしえないのである。
『週刊東洋経済』2004年9月25日号掲載
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