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リチャード・ホーフスタッター(田村哲夫訳)『アメリカの反知性主義』みすず書房 2003年 ISBN:4622070669
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昨今のアメリカの行動を,熟考と批判精神を欠いた「反知性的」振る舞いだと感じる人は少なくないだろう。一方で,アメリカが国際社会の中で他を圧するパワーを持っていることに疑いをもつものもいない。なぜ「反知性主義」のアメリカが,他を圧するパワーを持っているのか。 「反知性主義」とは,単に無知蒙昧を擁護する立場ではなく,平等主義,実用主義,実践主義として現れる心的姿勢と理念であり,知性と知識人に対する憤りと疑惑となって現れる。このような意味での「反知性主義」は普遍的な性格をもつ。しかし本書は,アメリカ固有の「反知性主義」を問題とし,それがいかにアメリカ社会の本質に深く関わってきたかを解き明かしていく。現代アメリカを理解する上で,四〇年前に出版された本書が今なお色褪せないゆえんである。 アメリカにおける「反知性主義」の伝統は,ヨーロッパの宗教的伝統を絶ち切って移民してきた人々が,その精神的安定の基盤を聖書(イエスの福音)のみに求めようとした福音主義の伝統の中に見出せる。福音主義は,万人の平等性を強調すると同時に,当時の知的階級を代表する立場にあった聖職者たちを排除していった。 「反知性主義」は,政治の世界でも知性と教養をもつものによる支配を否定し,平民の政治参加を押し進めた。アメリカで人気のある大統領は,決して知識人タイプの人物ではなかった。一九五二年の大統領選挙で勝利を収めたのは,いかにも知識人好みのスティーブンソンではなく,アイクの愛称で知られる庶民的なアイゼンハワーだったことも知識人に対する不人気を象徴する。 実用や実践を重んじるビジネスの世界もしばしば「反知性主義」的である。文化や伝統的価値を著しく欠くアメリカ社会では,ビジネスの成功はそれに代わり得る位置を占め,知識人と対立してきた。しかし,このような社会において知識人は自ら拠って立つ基盤をビジネスの成功に求めざるを得ないという逆説も存在する。単純な二項対立で「反知性主義」の問題を扱えないことが繰り返し指摘されている。 「反知性主義」は平等教育,民主主義教育を掲げるあらゆる教育改革運動の中にも見出せる。デューイの教育思想も,「反知性主義」的伝統の下で解釈し直される。 本書は,アメリカにおける「反知性主義」を単に糾弾するのではなく,その歴史的水脈を明らかにすることによって,現代社会において知識人が果たし得る役割とは何かを鋭く問い掛けてやまない。
『週刊東洋経済』2004年4月17日号掲載
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