|
杉原四郎・岡田和喜編『田口卯吉と東京経済雑誌』日本経済評論社 1995年 ISBN:4818807745
|
|
![]() |
日本の代表的エコノミストである田口卯吉の透徹した自由主義経済思想と多岐にわたる活動の実態を,田口の手によって創刊され,日本の経済雑誌の草分けとして名高い『東京経済雑誌』の分析を通じてあきらかにしようとしたのが,全13篇の論文と詳細な年譜・著作目録を収録したこの大著である。かぎられた紙幅でここに収録されたすべての論文に言及することはできないが,本書の特徴のいくつかについて私見を述べてみたい。 田口の思想的全体像解明に資する基礎資料としては,『東京経済雑誌』のほかに『鼎軒田口卯吉全集』があり,すでにその全巻が復刻されている。まず第一に強調しておきたいことは,本書が今後これらの基礎資料を読み込んでゆく上での最良の手引きとなるであろうということである。特に田口の場合,『東京経済雑誌』というメディアそのものの研究を逸することはできない。思想家としての田口の特異性が,まさにこの点に存在しているからであり,本書もそれを十分に自覚している。田口のほかにも福沢諭吉,徳富蘇峰など明治の思想家は総じて雑誌メディアとのつながりが強いのだが,彼らと比較してみても田口と雑誌の関係は非常に濃密であるといえよう。 現在の雑誌メディアを思い浮かべると理解しにくいのだが,当時の雑誌は読者との関係においてインタラクティヴな「開かれた」メディアとして機能していた。購読者数の絶対量がそれほど多くなかったこともそうした環境を作り出していた要因であろうが,根本的には明治政府が官僚主導型国家体制のもと,次第に民衆の声から遠ざかっていったことに理由を求めることができる。この過程において『東京経済雑誌』をはじめとする各種雑誌は,民衆のさまざまな声を反響させるメディア(媒介物)としての役割を担ってゆく。『東京経済雑誌』が大蔵省の財政援助を絶たれたあと,独立採算で経営を維持しえたのも民衆のメディアへのニーズが存在したからである。そして,田口は自覚的に雑誌メディアを自らの思想的営為を展開させる場として選択していったのである。 こうした田口のスタンスは,おのずと我々に田口解釈の二つの重要な鍵を与えることとなった。第一が,投稿,あるいは投稿に応じた論争を積極的に掲載するという『東京経済雑誌』の編集スタイルにかかわるものである(各種統計資料の掲載もそれを補強するものであったことが本書にも指摘されている)。 論争という形で言説が開かれている場合,相手との立場の相違を鮮明に示そうとするあまり,言説そのものが教条化・硬直化してしまう危険性をはらんでいる。このことは,歴史上の各種の論争の経緯が示しているとおりである。田口の場合にもそうした傾向が皆無とはいえない。しかし,彼はむしろ,論争を雑誌上で公開し,かつ同時並行的にそれを展開することによって硬直化の罠から逃れようとしているかにみえるのである。本書においても,自由貿易・保護貿易論争,本位制論争,経済学釈義論争,公債発行をめぐる論争,租税論争,貯蓄奨励政策論争,社会・労働問題論争,鉄道国有化論争などさまざまな論争が爼上に乗せられているが,これらの分析は,「田口=マンチェスター学派」的な狭い解釈から我々を解放すると同時に,「ある意味で驚くほど新古典派的印象を与える」ほど多様な解釈を可能にしている。結局,多様な解釈の可能性を許容する言説上の戦略を田口が選択したことの意味を,現代の我々は考察しなくてはならないことになる。 第二は,雑誌がもつネットワーク形成の機能にかかわるものである。実際,田口は『東京経済雑誌』を介して,さまざまな組織や別のメディアとの関係を構築していく。たとえば本書では,経済学協会という学的サークル(のちには民間シンクタンクの先駆をなすと評される機関にまで成長する)の事例が取り上げられているが,協会での活動で得られた知見の多くは『東京経済雑誌』上に発表され,また新たな関係を生み出す際の種子となる。地方啓蒙の拠点となったいくつかの組織は,こうした種子の発芽した姿ともいえよう。また,『大日本人名辞典』の編纂事業も『東京経済雑誌』が形成してきた購読者ネットワークを前提にして成立しえた事業であったし,各種の広告を通じてのメディア間関係の形成も同様であった。 これらメディアとしての雑誌を通じて広がりをもった田口の言説に,単なる時事評論を超えた思想的強度を与えているのが,シュンペーター流にいうところの「ヴィジョン」ということになる。このヴィジョンという観点から本書全体を鳥瞰する便をはかろうとするならば,たとえば第7章に展開されているようなテーマは,全体の最後,あるいは最初に置かれるべきだったかもしれない。本書がさらに思想史研究とメディア史研究の統合といった新たな地平を切り開いていこうとするならば,田口の論争史やメディア・ネットワークとの関連を統一的にみる視点をより鮮明にする必要があったのではなかろうか。若干,各々の論文相互の関連性が弱い印象を与えているのが惜しまれる。しかし,「あとがき」にもあるとおり,本書が経済学史・経済雑誌研究の碩学であり,本書の編者の一人でもある杉原四郎氏の業績を基本的に踏襲しつつ,それを超えようとした意欲作であることは間違いなかろう。 ★すぎはら・しろう氏は甲南大学・関西大学名誉教授・経済学史専攻。京大卒。著書に「西欧経済学と近代日本」「近代日本経済思想文献抄」など。1920(大正9)年生。 ★おかだ・かずのぶ氏は日本大学教授・日本金融史専攻。法政大学大学院修士課程修了。著書に「預金協定の史的展開」など。1931(昭和6)年生。 注:『週間読書人』1995年6月9日号,通算第2087号に掲載の拙評を再掲
|
|
Amazon.co.jp から注文 |
|
© 2004 NAKAMURA Muneyoshi. All rights reserved.