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柳沢遊・木村健二編著『戦時下アジアの日本経済団体』日本経済評論社 2004年 ISBN:4818815683
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本書は、波形昭一編『近代アジアの日本人経済団体』(同文舘、一九九七年)の成果を踏まえつつ、戦時期のアジアにおける日本経済団体の組織と機能、およびそれらの変容を明らかにしようとした労作である(なお前作で「日本人経済団体」となっていたものが、「日本経済団体」に変更されている理由は、日本人・日本企業が先導して組織した経済団体であってもその構成メンバーは必ずしも「日本人」に限定されていなかったという歴史的実態を反映させたことによる)。 言うまでもないかもしれないが、本書は前作とその考察対象の時期が異なるだけではなく、前作発表以後の研究動向を十分に意識して編まれている。とくに柳沢遊・木村健二両編者による「序章」の「課題と視角」にも示されている通り、日本経済史の分野においては、企業と市場を媒介とする「中間組織」への注目が集まっている(「中間組織」をめぐる研究史上の論点の整理は、松本貴典が「工業化過程における中間組織の役割」(社会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望』有斐閣、二〇〇二年)において詳細におこなっている)。これに鑑み、本書では、松本の提示した中間組織の機能のうち、とくに「「地域利害の日本人代表者」としての機能や圧力団体としての建議活動が重要であることに留意したい」(三ページ)と述べられている。なぜならば、アジア各地における日本経済団体の活動は、日本人経済勢力の進出の仕方や現地経済構造に大きく規定されている一方で、逆に現地の経済構造そのものが、中間組織である経済団体のあり方や活動によって規定されているからである。こうした相互の規定性を念頭に置きつつ、本書では、経済団体の分析を通じて日本の帝国領域およびその周辺地域における経済構造を明らかにしようとするアプローチが採られている。 また前作が出版されたのち、二〇〇〇年七月におこなわれた第八回日本植民地研究会全国大会(共通論題「近代アジアにおける社会統合とネットワーク化」)においても、本国の政策と海外(おもに帝国領内、アジア地域)との「縦の関係」を抜きに、当該経済団体の活動の実態を明らかにすることはできないのではないかとの指摘がなされた。本書においては、こうした問題意識がより明瞭かつ前面に押し出されているように思われる。なかんずく、考察の対象時期を一九三〇年代から四〇年代という準戦時・戦時体制期としたことにより、統制経済体制下にあって日本経済団体の活動が、本国の政策との関係でどのような対応を余儀なくされたかが、一層明らかになったと考えられるのである。 日本の帝国領域およびその周辺地域における経済構造を明らかにするという意味では、本書で選定された地域は充分とは言えないまでも、かなりの範囲をカヴァーしたものとなっている。具体的には、もっとも日本人の経済進出が早く、かつ現地の商工業者の力が相対的に弱かった台湾、一九三〇年代央以降の重工業化の中で日本と満洲を結ぶ結節点としてその重要性を増していった北部朝鮮の清津《チョンジン》、関東州最大の貿易港として早くから発展を遂げた大連《ダーリェン》、また満洲(*)の中心都市である奉天(現在の瀋陽《シェンヤン》)、日中戦争以後に日本人人口が急激に増加し、現地社会との統合や市場の創出が新たな課題となった華北の天津《テンシン》、上海《シャンハイ》、そして第一次世界大戦後に国際連盟の信託委任統治領となった南洋群島が取り上げられている。惜しむらくは、一九三〇年代に日本の経済進出著しく、そのため経済摩擦が引き起されていく東南アジアやインド、また貿易の重要拠点であった香港・シンガポールなどが欠落していることである。前作では東南アジア全体を俯瞰する一章のほか、香港、シンガポール、タイが取り上げられていたことを思えば、いささか残念である。 さて、以上のように選定された地域にしたがって、第1章以下の本書の構成は次のようになっている(括弧内は執筆者)。
第1章 商工会議所の機構改革と商工経済会の活動(須永徳武) 第1章が、本国における動向と全体に共通する問題を通観し、第2章から第8章までがそれぞれケース・スタディという構成である。以下、それぞれのケースの相互関連性を念頭に置きながら、順番に見ていくことにしよう。 第1章では、おもに中小工業者を業種横断的(水平的)に包摂する商工会議所機構が、統制経済が進行するなかで生産・配給を産業単位で垂直的に統合する組織にいかに編成されていったのかが扱われている。筆者は、とくに商工会議所という組織の存在意義が、加盟中小工業者が市場での取引費用を低減することにあったことに着目し、市場の取引費用を含む「市場の非効率性」そのものを排除しようとする統制経済の動きは、次第に商業会議所本来の存在意義を失わせていったと指摘する。したがって、一九三〇年代後半から四〇年代にかけてのこの存立基盤の喪失を回避しようとするさまざまな動きと、産業別の生産から配給までの直接統制という動きは、そもそも矛盾を孕んだものであった。しかし、最終的には商工経済会に改組されたすべての商業会議所が統制経済の末端組織としてその自律性を奪われていったのではなかった。埼玉県商工経済会に改組されたのちの川越商工会議所は、地方庁と一体化した連絡調整機関として地方経済における調整機能を維持していたと指摘されている。第1章では、日本の地方商工会議所の一事例として川越が挙げられているわけだが、このような問題視角は後段の各章でも大なり小なり意識されている。 台湾商工会議所を事例として扱った第2章では、統制経済が深化するなかでの商工会議所の機能不全の問題は、本国も植民地も変わらない矛盾として指摘される一方で、植民地の場合は内地とは異なり、その機能不全が植民地統治という機能の不全に直結する問題であったと主張されている。一九三六年の台湾商工会議所令制定は、台湾の工業化という新たな方向性に対応しつつ、それまでの総督府による植民地統治の方針を大きく転換するものであった。しかし、ようやく実現したかに見えた台湾在住日本人商工業者の組織編入は形骸化されたものに過ぎず、結局のところ行政代行的機関として自らの基盤を切り崩してゆく「企業整備」をおこなうという機能を担わされることとなった。 朝鮮においても台湾と同様に植民地政府の権力は絶大なものであった。したがって、経済団体の再編過程において商工会議所が担わされた機能は、従来の「官治」的性格を色濃くもったものであった。しかし、第3章では、朝鮮のなかでもとくに満洲と日本を媒介する貿易港であった清津が事例として取り上げられていることもあって、清津商工会議所においては、一九四〇年半ばまでは「情報センター」的機能が発揮されていたことが指摘されている。台湾と同様に植民地政府と一体化しつつあった商工会議所でも、まさに当該地域の政治経済上の関係性のあり方によってその違いが垣間見られることは興味深い。 第4章で取り上げられている大連商工会議所も、貿易の重要拠点に置かれた商工会議所であった点で、清津商工会議所と共通している。筆者も、一九三九年頃までは「国際貿易都市=「大豆」輸出拠点都市に相応しく、その活動は一九一〇〜二〇年代のそれの延長線上にあったといってよい」(一六七ページ)と述べている。しかし、第二次世界大戦勃発にともなう戦時重化学工業化の構築という局面に新たに対応する必要が生じると、いくつもの経済団体が目的別に組織化され、それらの組織の連絡・調整という大連商工会議所の渉外活動がクローズアップされていった。清津商工会議所とは異なり、円ブロック経済圏内での大連の重要性がそうした機能を発揮させたと見ることも可能であろう。 第5章の満洲の奉天商工会議所のケースはいささかユニークであった。一九三七年の治外法権撤廃を契機とする奉天商工公会に期待された機能は、消費財の流通・価格統制を主としたものであったからである。もちろん、他章で取り上げられている統制経済進行下での商工会議所の機能変容と共通する部分もなかったわけではない。しかし、日本からの消費財輸入に大きく依存していた満洲国経済の特徴(本国との関係性の違い)がこうした経済団体の機能面にも反映されていると考えられよう。もっとも実態的に見れば、奉天商工公会は消費財の配給を円滑におこないえなかった。筆者は、こうした機能不全に関する原因を商工公会に与えられた権限面から指摘し、「商工公会は商工業者の要望を実現する権限はないが、商工業者に政府の政策遵守を求めるという、その役割は混乱した経済団体になってしまった」(二〇一ページ)と結んでいる。 さて、第2章から第5章までは植民地および「満洲国」という日中戦争期までに日本の勢力圏下にあった地域における日本経済団体のケース・スタディであったが、以下、第6章、第7章は中国本土における日本経済団体の分析、第8章は経済団体そのものではなく、「南洋興発株式会社」という特殊会社が南洋群島地域において担った役割の分析が中心となっている。 第6章では、日本企業の華北地域への進出を一九三五年の冀東政権樹立と日中戦争による華北地区占領の二期に区分し、当該地域への日本企業の大量進出をもたらした様子を統計的に明らかにするとともに、そうした変化のなかで在外公館である天津総領事館と天津商工会議所の活動が主な考察対象とされている。一方、本国の統制経済の動きに対応した華北の配給統制機構の整備が、一九四〇年の輸出入組合の設立としてあらわれ、総領事館主導による商工会議所の機構の拡充整備の動きと齟齬を来していった。つまり、配給統制という実体経済の面では輸出入配給組合連合会などが主導し、本来「統括的立場」にあるはずの商工会議所(四四年には天津日本経済会議所)はその存在感を喪失していった。 第7章で取り上げられている上海日本商工会議所の場合も、事情は天津とよく似ている。上海でも、日中戦争期に増大した中小工業者を商工会議所の傘下におくことが総領事館の指導と相俟って進められた。最初は内地当局の経済統制強化に抗する動きも見せたが、各種物資別統制組織の整備とともに本来の商工会議所がもっていた経済的要求の実現や相互調整といった機能を後退させていった。しかし、上海の場合は一九四三年の汪精衛政権樹立後の全国商業統制総会体制成立後には、中国商を含んだ「総合的経済団体」としての役割を商工会議所が担っていった。この点、天津とは大きく異なるところであろう。ただし、機構面からみたこれらの組織上の整備が実体経済の面でいかほどに機能したのかについては疑問が残った。 第8章は、南洋群島のケースが取り上げられている。一九三〇年代初頭までは、南洋興発株式会社が政治・経済上において、圧倒的な力をもっていたが、三〇年代初頭には、現地中小商工業者の活動の多様化にともなう変化が見られ、南洋興発主導の「糖業単一主義」への不満も現われた。しかし、そうした下からの展開が本格化する前に、日本は国際連盟を脱退し、以降は製糖業以外への事業拡大と外南洋(フィリピン・セレベス・ジャワ・ボルネオ・スマトラにかけての範囲)への事業進出拡大とが南洋興発を中心として推進されていった。さらに、三七年以降の無条約体制の中で海軍の軍事施設建設が活発化し、現地の社会経済構造に大きな変容をもたらしていった。また前章までの地域に比べ、経済団体の組織化がもっとも弱かった南洋群島での経済統制は、従来の業種別親睦団体が、縦割りの形のまま物資の調達・配給機関へと編成替えされていったことが指摘されている。 以上見てきたように、本書で扱われている各地域の経済団体の活動は、その地域の特性、内地との経済関係の違いなどによって、大きく異なっていたと言えよう。本書ではそうした違いを具体的レベルで理解しようとする問題意識が各著者に共有されており、これまで手薄であった日本帝国ないしは円ブロック内での経済団体の活動の動態的把握がなされていると評価できる。一方、とくに一九四〇年代の統制強化の中での経済団体の自律的な動きがやや過小に評価されている感がなきにしもあらず、である。とくに日本人・日本企業関連「以外の」商工業者との関係調整機能の実体がどのようなものであったかを明らかにしていくことが(資料上の制約は強いのであろうが)課題であるように思われる。また最初にも指摘したが、「大東亜共栄圏」全体を射程に入れるならば、東南アジア地域やインド、タイなどでの動きもやはり知りたいところである。 最後に内容とは直接関係ないが、本書に挙げられているさまざまな企業、商工業者の名前などはもう少し網羅的に巻末索引に掲げられても良かったのではないだろうか。日本国内における「中間組織」研究、あるいは統制経済の具体的な分析が進展していることを考えれば、さまざまなコネクションを明らかにする手がかりを得るためにもこうした工夫は是非とも必要であろう。また全体を俯瞰する組織図や地図などもあれば、経済団体の組織上・地理上の位置づけを明確にするとともに、読者の理解を助けたのではないかと感じた。内容的に非常に稠密かつ複雑であるので、簡単に図式化できないことは重々承知しているが、そうであればこそなおさらに大胆な図式化も一方で必要であったように思われる。 *本書評でも本書の表記にしたがって、満洲、満洲国などとする。 (日本経済評論社、二〇〇四年二月、本体価格五二〇〇円) 本書評は,『歴史評論』2005年5月号,No.661に掲載されたものである。
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