最終更新日:02.01.23
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大教室のMONOLOGUE
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#7739
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1月23日(水)「実業の日本JN」休刊

 昨日の日経朝刊に、実業之日本社から出ている『実業の日本JN』が2月で休刊するとの記事が小さく出ていた。『実業之日本』と言えば、1897(明治30)年に創刊された由緒ある経済雑誌の一つである。最盛期には15万部を売ったという。

 1928年に創刊された『サラリーマン』という雑誌の「創刊の辞」では、『東洋経済新報』や『ダイヤモンド』と並んで、旧態の経済雑誌として批判の対象にもなっていた。『実業之日本』は、古くさい立身出世主義に基づく編集方針で、やれ私はこうして成功しただの、こういうノウハウで金儲けをやろう、という記事ばっかりを載せているというわけだ。

 しかし創刊号などを見てみると、必ずしも「立身出世主義」に最初から凝り固まっていたわけではなく、その名の示す通りさまざまの実業者を読者対象とした啓蒙記事が中心である。

 創刊号のメインの記事は、「勧業農工両銀行の運用如何」「銀価の下落と金貨本位制の将来」「同盟罷工の聲何そ夫れ多きや」「米国の保護政策を評す」の四本。ほかに前田正名、手島精一、横井時敬などが論説を書いている。

 1897年は、日清戦争で得た賠償金をもとに日本が金本位制度を採用し、先進国の仲間入りをした(と主観的には思い始めた)年であった。

 ところで、この『実業之日本』創刊号の発行所、実は「実業之日本社」ではなく、「大日本実業学会」というところになっている。ちょっと調べてみると、「実業之日本社」を創業した増田義一が、1900(明治33)年に光岡威一郎(大日本実業学会・主事)から雑誌「実業之日本」の編集権の譲渡を受け実業之日本社を設立したということらしい。確かに1900年の6月号から発行所が「実業之日本社」に変わっている。

 現在の実業之日本社のサイトでは、会社の創立年を明治30年としているが、雑誌の発刊と混同しているようだ。(ちなみに現在の社長は、増田義和という人。増田義一の親族の方であろう。)

 1909(明治42)年には、新渡戸稲造を編集顧問に迎えて雑誌の方針転換を図るようだが、このあたりも詳しく調べると面白いかもしれない。


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おまけ

(1)『実業之日本』の創刊第二号の表紙画像(早稲田大学図書館蔵のものからコピー):初期の表紙のコンセプトは、日本地図にさまざまな物産の各県ごと生産高を示すというもの。ちなみに創刊号は「製茶」、第二号は「生糸」。

(2)同じく『実業之日本』の初期のものに掲載されていた花王石鹸の広告(早稲田大学図書館蔵のものからコピー):長瀬富郎(初代)は、花王の創業者。1931年に「新装花王」が売り出されるまで、このデザイン。新しいデザインは、当時新進のデザイナーであった原弘のものが公募によって決定した。実は、原は雑誌『サラリーマン』の表紙デザインも手がけている。原は、雑誌『サラリーマン』の編集発行人であった長谷川国雄(のち自由国民社を創設)の府立工芸高校の後輩だった。


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02.01.23 7:30AM

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