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12月10日から四泊五日で台湾総合研究院主催の東アジア地域国際シンポジウムに参加した。大東文化大学経済研究所が毎年参加している会議だ。が、会議の中味はここでは省略して、はじめての台湾の印象を少々記しておくことにしたい。
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【中華三昧】
予想したことだが、四泊五日のうち食事はすべて中華!(笑) とくに広東料理の海鮮が中心であった。フカヒレ、アワビ(普通の干しアワビはもちろん、独特の小さいアワビも美味!)、カラスミ、エビ、イカ、ナマコ、それに淡水で捕れるマスなどの淡水魚が主体。
初日はホテルの近くのファミレスのようなところで軽く食べた後、皆で地下鉄(地下鉄の切符は、すべてカードで改札は無人。40NT$)で士林に移動。台湾最大の夜市を探索。呼び込みの元気なお店は避けて、がらがらのお店でビールを注文、汁ビーフン、豆腐の薫製みたいなやつほかを食べた。
二日目は、淡水河畔の高級会員制クラブ「地中海」で歓迎のパーティー。レミーやシーバス(21年もの)、金門島の特級コーリャン酒(アルコール度数60度)をカンペイ!で飲み干しながら、楽しい一夜を過ごす。夜景もとってもス・テ・キだった。
三日目は、淡水にあった古い洋館を改装した「紅楼(Red Castle)」というレストラン。淡水と言えば、紅毛城(旧オランダ商館、旧イギリス領事館)が有名だが、「紅楼(Red Castle)」は「紅毛城」のような見学コースではなく、若いカップルがひっきりなしに訪れるちょっとオシャレなスポットである。ANA のCMで志村けんと金城武が駆け登っていく台湾の裏路地のような雰囲気の細い石の階段を上るとそこには淡水を見下ろす赤レンガの建物があり、まさに Red Castle !!

この日の酒宴は異様に盛り上がったのだが、盛り上げたのはうちの女性3人(のうちとくに1人(笑))! 台湾の方々にも、日本人女性は強いですね〜、と驚かれていた。
最終日の四日目の晩餐は、陽明山山麓にある割と普通のレストラン。地元の人が利用する食堂と言ったほうが適切か? ここではとくに地の野菜各種と鶏の鍋が美味しかった。鶏鍋は干した塩大根(沢庵よりも柔らかく、塩も薄め)が入っていて、その塩味と鶏のエキスが滋養あふれる味を醸し出していた。毎晩、毎晩、飲んだくれていたわれわれの健康を慮っての薬膳系のメニューだったのだろうか?(笑)(ここで各参加機関にお土産として金門島コーリャン酒を一瓶ずついただいた。成田まで持っていくのが重かった(^_^;))
【故宮博物院】
13日のエクスカーション、午前中に故宮博物院見学、午後は陽明山ハイキングであった。一部には「え〜、ずっと故宮がいい〜」という声があった(そりゃ当然。中国5000年の文化遺産を目の当たりにして、わずか1時間半の見学は欲求不満になるだけである)が、主催者側のプランにしたがって少ない故宮見学で満足せざるをえなかった。
しかし、唯一良かったのは今年の8月から写真撮影が解禁(ただしフラッシュ禁止で、書画についてはフラッシュなしでもダメ)となったことで、至宝の一部をデジカメできっちり撮れた点であろうか。
少ない時間でガイドさんが案内してくれたのは、おもに古代の金石文が刻まれた青銅器・鉄器の類いと碧玉のコーナー。そのなかでも最も有名なのが、これ。グリーンと白色が鮮やかなヒスイを細工した「翠玉白菜(ツォイユィパイツァイ)」である(若干、暗めの画像なので見にくいが、白菜にはキリギリスが留まっている)。横に展示してあるのが、自然が作りだしたトンポウロウ!である。
もうひとつ玉ですごかったのは、「黄玉随連環紐印(ホワンユィソイリエンホワンニウイン)」(左画像)。これは一つの原石から削りだして作られたもので、拡大鏡で見ても鎖に繋ぎ目がないそうである。気の遠くなるような時間がかかったんだろうなぁ……。
古玉の類いの中で珍しいのが、埋葬された死者の口に入れて蘇りを祈念したと想像される蝉を象った玉。総じて中国のお宝には不老長寿を祈願したものが多いらしいが、神仙思想の現れであろうか?
金石文が象眼された鍋なんかも、子々孫々の繁栄を願った吉祥句が刻まれている。金石文や亀甲文字も面白かった。展示室のパネルには漢字の由来が図解されており、たとえば「鑑」なんていう字もどのような元字だったのかが一目でわかるようになっている。
故宮博物院の庭(至善園)もなかなか美しい。庭の中には竜や鶴が。古いものばかりでなく新しいものも故宮博物院は収蔵している。こちらが新館。また故宮博物院の正面に立っている超高級マンションも現代台湾を象徴する建物の一つ。
【陽明山の旧蒋介石邸】
13日の午後は陽明山ハイキングの予定であったが、あいにくの雨でしかも肌寒く予定変更で旧蒋介石邸(別荘)を案内していただく。蒋介石が夏の間に避暑で過ごしたというこの別邸に向かう途中、蒋介石は車の事故にあって以後急速にその指導力を失っていった。宋美齢夫人も今や台湾では「過去の人」。宋一族の評判もあまり芳しくない。帰りの車中、韓国の先生と朴正煕と蒋介石の違いなどについて話しをした。
旧蒋介石邸の玄関前にある塀。玄関前に塀があるのは変わっているが、風水の思想に基づくものらしい。塀の真ん中には蝙蝠をあしらった吉祥のマークが。真ん中の文字は「千秋萬歳(?)」
中に入ると、それぞれの部屋に蒋介石と宋美齢夫人の写真(1) (2) (3) や孫文の肖像画などが飾ってある。
執務室のバルコニーからは台北市街がよく見える(天気が良ければ(笑))。
【旧植民地】
言うまでもなく台湾は戦前日本の総督府が置かれ植民地支配がおこなわれた島である。今回、旧総督府を見られなかったのは非常に残念だったが、陽明山国家公園でボランティアをおこなっている方々に話を色々と伺うことが出来たのは幸いであった。もちろん彼らも植民地時代にはまだ中学生ぐらいの年であるから、実体験談というよりも彼らの話す日本語そのものが日本の植民地支配の証であるという意味においてである。と、同時に彼らが現役時代にいかに日本人のサラリーマンと同じように経済力をつけるために頑張って働いてきたかを話してくれた。
最初はちょっと話がはずまなかったのだが、私が「台湾のお米は今でも蓬莱米が主なのですか?」と尋ねたのがきっかけで色々としゃべってくれた(もちろん現在の台湾が蓬莱米をそんなに多くは作っていないことを承知の上で尋ねたのだが)。
彼は、「今の台湾の若い人は可哀想。目標がだんだん失われていく。われわれの世代は具体的な目標があった」と語った。日本の旧世代の人々も同じような思いの人が多いのかもしれない。
【台北市街】
そういうわけで今回の旅行では台北市街はほとんど素通り。ごくごく外見からだけの印象を記しておくと、まず第一に交通量がものすごく多い。とりわけバイク(機車)がすごい。広い主要幹線を自動車(汽車)と一緒にバイクが何列にも連なって走っているし、バスなどの大型車の横をすいすいすり抜けていく。よく事故にならないものだと感心するが、台湾の人に尋ねると「事故は多いですよ」との答え。まぁ当然だよな。
デパートも広くて立派。最後の日に空港に行く前にちょっと立ち寄ったのだが、入っているテナントも日本のデパートと変わりなし。
コンビニ(便利商店)では、セブンイレブンとファミリーマート(全家便利商店)が目立った。地元系のコンビニもチラホラ。セブンイレブンに入ってみたが、おでんもしっかり売っていた。しかし、あまり人気はなさそうだった(レジ横になかったしね)。
郊外へ向かう主要幹線沿いには「檳榔売り」のボックスが目立った。タクシーの運転手や長距離トラックの運転手が眠気覚ましに檳榔を噛むのだが、覚醒剤と同じような効果があるらしい。檳榔自体は違法でも何でもないのだが、檳榔売りのボックスのお姉さんはちょっとセクシーな格好で客引き。どうやら別のものも売っているらしく、それが当局の取締の対象になってもいる。
台湾と言えば、今やアジアを代表するエレクロニクス産業の島。コンピュータ(電脳)はエイサーがやはり強いようだ。また各家庭にはケーブルテレビが普及していて、チャンネル数も多い。日本語放送のチャンネルもいくつかあって、NHKの朝の連続小説なども1時間早く見られる。結局、台湾滞在中に「ほんまもん」を全部見てしまった自分って一体……(^_^;)
語学専門学校(日本でいうNOVAとかの類い)も街中に多かったように思う。「日語・米語」が人気のようだ。テレビでも若い女性老師(台湾では若くても「先生」は“老師”。「先生」は実はあまり尊敬語ではない)が一生懸命英語の発音を教えていた。徹底して発音と英語のリズムを教えようとする姿勢は見習ってもいいのではないかな? 意味よりも何よりも発音をしっかり教えようという感じであった。総じて日本以外のアジアの人たちの英語は上手であるように思うのは、やはり教育のやり方に問題があるのでは?と、ふと思った。
淡水の汚れや大気汚染は相当に進んでいるらしい。街中でもマスクをしている人を多く見かけたし、高速道路の料金所のお姉さん達もみなマスクを着用していた。経済発展の負の側面を台湾もまた経験中なのであろう。
イル・フォルモサ(「美しい島」)と賞された台湾の自然環境をできるだけ残していくことを考えるのが、21世紀のアジアに課せられた重要な使命の一つであることは間違いない。
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