最終更新日:07.03.05

スペイン旅行記

2006年12月22日〜2007年1月3日

12月22日(マドリッド)12月23日(マドリッド)12月24日(トレド)12月25日(グラナダ)12月26日(グラナダ)12月27日(マルベーリャ)12月28日(ロンダ)12月29日(英領ジブラルタル)12月30日(マルベーリャ)12月31日(バルセロナ)
1月1日(バルセロナ)1月2日(バルセロナ)1月3日(バルセロナ)おまけ

※以下,画像をクリックするとFlickr!のページに飛びます。その画像の周辺・前後の画像をご覧になりたい方はどうぞ。

出発前

なぜ,スペイン?

「久しぶりに海外旅行に行こう!」ということで、なぜか行くことにしたスペイン。2003年度のイギリス滞在中、旅行したいと思いつつ、時間とお金が尽き、訪れることができなかった地でもある。

在英中は、時間がたっぷりあったこともあって、計画も、ホテルや交通機関の手配も、インターネットの口コミ情報ページ等を利用して全て自分でやっていたが、今回は年末の慌ただしさの中、それも叶わず(根性がなく)、旅行社に手配を頼んだ上での個人旅行とすることにした。

お願いしたのは、夫がインターネットで探し当てた「太陽海外航空株式会社」。スペイン、ポルトガル両国、すなわちイベリア半島専門の旅行社である。

私たちの主な希望は「マドリッドでは、プラド美術館とソフィア王妃美術館に行きたい」「スペインの"新幹線"AVEに乗りたい(夫)」「アルハンブラ宮殿を見たい」「アンダルシアのどこかで少しのんびりしたい」「バルセロナでガウディの建築を見たい」である。ほかに「トレドは街全体が世界遺産なので行ったほうがよい」とのアドバイスをいただいた。

その結果、マドリッド2泊(実質1日)、トレド1泊(実質1日)、主なスポットが休みのクリスマスは移動日、グラナダ2泊(実質1.5日)、マルべーリャ3泊、夜行列車1泊、バルセロナ3泊(実質3日)である。マルべーリャ−バルセロナ間は飛行機にする方法もあるが、夫は夜行列車に乗ったことがないこともあって、夜行列車を選択した。

また、マルべーリャを起点に、付近の観光地へ日帰り旅行を楽しめると教えていただいた。

さて、当初「ガイドブックは出かける前でよい」と思い、電車の中などで「スペインの歴史」などの本を読んでいたら、あっという間に出かける直前に。そのため、各訪問地で何をするかが白紙のまま、旅立ちの日を迎えた。

12月22日(1日目:成田からパリ経由でマドリッドへ) 

成田出発。航空会社はエール・フランス。年末ということで満席。夫と離れ離れの席になる。機内食は、パンとワインは美味しかったが、料理は今イチ。

夜、マドリッド着。現地スタッフの方が、到着ロビーで出迎えてくれた。出迎えがなくてもだいじょうぶとも思ったが、夜の到着で、長時間の空の旅の後では、何も考えずに車に乗ればいいだけの出迎えは有り難かった。

ホテルチェックイン後、機内食であまりお腹が空いていなかったため、マドリッドの繁華街を散策しつつ、生ハムで有名なその名も"Museo del Jamon"というバルに入る。脚丸々1本のハムが、壁一面に所狭しとつり下がっている様子は壮観。マドリッドっ子たちが、仲間たちと思い思いにハムやチョリソをつまみながら1杯やっている。我々も早速、日本でも人気だが、高価なのでそうそうは食べられないイベリコ豚の生ハムをいただく。飲み物はカーニャ。生ビールである。

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(バルに集うスペインの人たち。床は写さなかったが,噂通り汚い。時折,掃除の人が清掃していた。世界中の皆さんの評価はこちら。画像もたくさんあって,楽しい。)

クリスマス前の街は、日本でいうと忘年会シーズンの新宿や新橋といった雰囲気。新市街の中心であるプエルタ・デル・ソルや目抜き通りは、多くの人で賑わっていた。


マドリードのホテルはウエスチン・パレスで、室内の家具、壁紙、リネン類全てエレガントだ。ところが、給湯のトラブルがあってお風呂に入れず、翌朝部屋を変えてもらった。同様のトラブルが、以前行ったエジンバラのホテル(ヒルトン)でもあったので、「ヨーロッパではこんなものだ」とあきらめる。

12月23日(2日目:マドリッド) 

朝、変えてもらった部屋でシャワーを浴び、朝食へ。「スペイン伝統の朝食」がどんなものかはよくわからないが、ペストリー(クロワッサンの生地にチョコレートやカスタードクリームが入っているものや、シナモンロールなど)、コンチネンタル式のハム・チーズとフルーツやヨーグルト、スクランブルエッグ(この後、ホテルによってはスペイン風オムレツ。目玉焼きはない)、スモークサーモン、ベーコン、シリアル等が揃えられている。ホテルのグレードにより、種類の豊富さが異なるが、旅程を通し、ほぼ同様だった。

特に私にとって嬉しかったのは、ペストリーが甘すぎず、パイ生地はサクサクしていて、美味しかったこと。またハムは通常のハムのほか、スペインらしく生ハムもある。スモークサーモンも養殖もののように脂っこくなく、美味しい。


朝食後、マドリード訪問の第一の目的、プラド美術館へ。スペインを代表する画家といえば、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤだが、美術館には3つの門があり、それぞれにこの3巨匠の名前を戴いている。

グレコは、美術の教科書等の印刷物で見る限りでは、ベッタリした感じで私は好きではなかったのだが、実物は色に深みがあって、とてもよかった。名画と讃えられる「胸に手を置く騎士」は、きっとモデル本人が高い人間性をもった人物だったのだろうことがうかがえた。

ゴヤは、ゴヤが若い頃描いた、貴族の若者が田園風景の中で伸びやかに遊ぶ姿、子供たちが戯れる絵が、ゴヤ自身の若さと重なって眩しい。その後、貴族の肖像画や「裸のマハ」「着衣のマハ」などを経て、「黒の時代」へと進む。「黒の時代」の絵画は、大衆が、時代の不条理さの中で苦しむ姿が描かれているようで、胸に迫るものがあった。時代の流れも、宮廷画家から市井の画家へという環境の変化もあるだろうが、歳を重ねることによって、画家が見る人の姿の違いが、そこにあったように思う。

プラド美術館を後にし、ソフィア王妃芸術センターに向かうことに。レティロ公園の周囲からアトーチャ駅にかけては、パリのセーヌ川河畔のように、簡易店舗の古本屋が軒を並べている。

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(マドリッドは思っていたほど寒くはなかった。全世界的な暖冬か? この日も良いお天気で暖かかった。)

ソフィア王妃芸術センターでは、ピカソ、ミロ、ダリなどの現代美術家の作品を鑑賞する。この美術館の「目玉」はピカソの「ゲルニカ」。スペイン市民戦争時の悲惨な風景を描いたものだ。バラバラになった身体や悲しみが、ピカソ独特のキュビズムで描かれている。私は「ゲルニカ」を前に、長崎の「頓珍漢人形」を思い出した。長崎の人形作家久保田馨氏による親指ほどの小さな人形で、目や鼻がばらばらに離れているようなおかしな人形だが、実は、被爆による悲惨な姿を映したものだ。

ピカソの「泣く女」もまた面白い。我々がよく知っているのはその代表作だが、ここには、さまざまな「泣く女」が展示されている。おそらくこれはピカソの独創ではあるまい。こんなに何枚も「泣く女」があるということは、ピカソの周囲に、とにかく何かにつけてみっともなく派手に泣く、創作意欲をかきたてる女性がいたのではないだろうか。そんなことを勝手に創造しながら鑑賞した。


昼食には、この地方の名物「子豚の丸焼き」を食べようと、マドリッドっ子たちが集うマヨール広場付近の「ボディン」という、1725年(享保10年)創業の老舗レストランを目指す。ガイドブックによると、ヘミングウェイも常連だったとのこと。

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(この画像は左後ろ足部分でしょうね。尻尾も見えます。)

「子豚の丸焼き」は、まだミルクしか飲んでいない子豚をローストしたもの。1匹が6人前だ。セットメニューを頼むと、ほかに、生ハムとニンニクとパンの入ったスープに卵を割り入れたカスティーリャ地方のスープ、パン、ワインまたはビールまたは水がついてくる。子豚の丸焼きは、皮はパリっとしていて香ばしく、肉は上質のヒレ肉よりなお柔らかくしかもジューシーで、非常に美味しい。一人前を半分も食べないうちにお腹がいっぱいになってきたが、赤ちゃんの豚を食べておきながら残すというのは天罰が下る気がして最後までいただく。夫はビール(生ビール1杯)、私は昼ということで最初「水」を頼んだが、肉にはやはりワイン(というか、水でこれだけの量の肉を食べるのはツライ)。追加で頼み、ふたりであっという間に1本空けてしまった。

食事後、マヨール広場を散歩。クリスマスマーケットが開かれている。以前訪れたウィーンのシェーンブルン宮殿前や市庁舎前のクリスマスマーケットは、どの店も、とにかく洗練されたオーナメントが売られていて、おとぎの国のようだったのに対し、マヨール広場のクリスマスマーケットはチープな下町のお祭りといった感じ。日本のお祭りの屋台で売られているような、お面(クレヨンしんちゃんもあった)や、色とりどりのカツラなどが売られており、そのカツラをかぶった子供や若者たちもいて、広場全体に浮かれた雰囲気が漂っていていた。

若者のグループにカメラを向けると、集まってカメラ目線で、ピースするなどして応えてくれた。

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おそらくクリスマスにちなんだ物語だろう。広場で人形劇を楽しむ子どもたち。

その後、王宮方面へ。マドリードの守護聖母アルムデナを祭る大聖堂は壮麗。内部は白い壁や柱の装飾や、キリストや聖人の像に贅沢に使われた金に圧倒される。たとえばフィレンツェでは色とりどりの大理石が富の象徴のように使われていたが、"日の沈まぬ国"と言われたスペイン帝国といえば、植民地の中南米で産出される金で有名であり、スペインらしい豪華さである。

夕方のため王宮はすでに閉館時刻を過ぎていたが、これは「想定内」。スペインにおけるブルボン朝の初代国王フェリペ5世が建てた素晴らしい宮殿とのことだが、これまでベルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿に行ったことがあるということもあって、我々は美術館を中心にまわることにしたためだ。


さて、夕食はというと、なんと、お昼に食べ過ぎて夜になってもお腹がすかない。クリスマスの雰囲気の市街を散策しながらホテルに戻り、就寝。

12月24日(3日目:マドリッドからトレドへ) 

まだ暗いうちにホテルをチェックアウトし、アトーチャ駅へ。駅に着くころに白々と夜が明ける。駅前ではすでにチュロスのスタンドが店を開けていた。「ホットチョコレートに、プレーンのチュロスを浸しながら食べる」というのが、スペインの朝食の定番の1つとのこと。蛇足だが、そもそもチョコレートのカカオ豆はスペインが中南米からヨーロッパにもたらしたもの。その後18世紀にイタリアでチョコレートを固める技術が開発され、19世紀にスイスの職人がミルクを加えることを思いついて、世界中で愛される現在のチョコレートができあがった。それまではチョコといえば飲み物だったのだ。

列車テロのあったアトーチャ駅である。訪れてみると、本当に普通の人が行き交う都会の駅だ。AVEに乗るために、荷物のチェックを受けて車内へ。

約30分で古都・トレドに到着する。駅舎はイスラムの様式を取り入れた趣のある建物で、特に天井の寄木細工が見事である。どの国の観光客も上を向いて写真を撮っていた。

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(トレド駅舎外観。トレドの旧市街まではタクシーで10分弱。)

トレドは、ローマの都市として建設され、ローマ帝国崩壊後は、569年に西ゴートの王が宮廷をこの街に移し、589年にレカド王がカトリックに改宗したことによりスペインの政治・宗教の中心として発展した。また、古くからユダヤ教徒たちも住んでいた。その後、712年にイスラムの支配下に入り、1085 年にレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復運動)によってアルフォンソ6世が再征服。当初ユダヤ教徒やイスラム教徒に対して寛大な対応がなされたため、トレドにはイスラム、ユダヤ、キリスト教の3つの文化が融合した高水準の文化が華開いた。「文化の融合」といっても、各宗教や各時代の様式の建物が街に混在しているだけでなく、「ムデハル」と呼ばれるキリスト教支配下のイスラム教徒によるイスラムの建築様式を取り入れたキリスト教建築、「モサラベ」と呼ばれるイスラム教支配下のキリスト教徒による建築等、様式の融合した教会や修道院がいくつも残り、独得の雰囲気を醸している。1561年にフェリペ2世が宮廷をマドリードに移すと、政治の中心としての役割は終えるが、現在もスペインカトリックの中心地であり、1986年には町全体が世界遺産に指定されている。

駅からホテルへは、スペインで初めてタクシーに乗って移動。「ぼられる」などの情報もあったため緊張していたのだが、乗ってみるとちゃんとメーターがついていた。ほとんどの街のタクシーにメーターがついており、特に遠回りされた印象もなく、荷物の積み下ろし等も皆親切だった。なお、後に訪れるマルべーリャのタクシーは皆「ここからここまではいくら」という主な場所の料金表を持っており、それを指し示して料金を提示していた。


さて、ホテルは、かつて要塞だったアルカーサル近くの、アルフォンソ6世ホテル。簡素だが、こじんまりとした落ち着いたホテルだ。バルコニーからは、斜面に沿って段々に連なるレンガ色の甍の波を望むことができ、美しい。

荷物を置き、早速街に観光に出る。この日は日曜日のクリスマス・イブとあって、主な建物が14時で閉館だったり、休みだったり。またアルカーサルとエル・グレコの家は改修中で休館。カテドラルもタイミングがあわず入ることができなかった。すなわち、ガイドブックに載っている主な建物にはほとんど入れなかったことになる。しかし、街自体が世界遺産であり、曲がりくねった迷路のような、細い、坂の多い石畳道を散歩するだけでも十分楽しく、クリスマスのイルミネーションもかわいらしくて、街の雰囲気を堪能することができた。

ここで役に立ったのが、太陽海外航空株式会社でもらった、スペイン政府観光局のパンフレットだ。市販のガイドブックには載っていない見どころがいくつも紹介されているし、観光順路も掲載されているので、個人旅行をされる方には、観光局で入手することをお勧めする。トレドのほか、マドリード、バルセロナ、アンダルシア、コスタ・デ・ソルなど数種そろっている。


そのガイドブック片手に私たちが訪れたのは、たとえば、サンタ・マリア・ラ・ブランカ・ユダヤ教会。イスラム文化の影響をもつムデハル様式で、真っ白な馬蹄形アーチや、繊細な唐草模様の美しい教会である。また、サン・ファン・デ・ロス・レイェス修道院は、フランドル・ゴシック様式の建物だが、中庭を取り巻く回廊の彫刻と、天井の寄木細工が素晴らしい。

また、エル・グレコの家は閉まっていたが、サント・トメ教会では、エル・グレコの名画「オルガス伯の埋葬」を見ることができた。ただし、展示されているのはこれ1点のみ。イヤホンガイドも借りたが、この絵の説明のみ。天国へ行くための説教をきいているようだった(笑)。恥ずかしながらエル・グレコとは「ギリシャ人」という意味で、ドメニコス・テオトコプーロスというギリシャ名の本名があることを、今回の旅行で初めて知った。


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(サン・ファン・デ・ロス・レイェス修道院の回廊。中庭にはオレンジの木が植えられていた。)


昼食は、郷土料理の老舗「カサ・アウレリオ」で、山うずら料理を食べる。山うずらを赤ワインとビネガーで煮込んだもので、"箸で崩れるほど"柔らかく、美味しかった(フォーク&ナイフでいただきました)。ほかにもう1品ということで、サラダのリストの中から「この土地のものを」と頼んだら、マンチェゴ・チーズ(この地方の名物で,羊乳のチーズ)を湯葉のような薄い生地で茶巾寿司のように包んで揚げ、カラメルとナッツのソースを少量かけたものが出てきた。日本人がイメージする「サラダ」とは異なるが、チーズはほんのり羊の香りがしつつも臭くなく、さっぱりしていて非常に美味。1人前を頼んだのだが、2人で食べて十分だった。ここでも昼間から2人でワイン1本を空ける。スペインワイン万歳! 安くて美味しいので、すっかりファンになってしまった(ただし、低価格のお店のハウスワインは、まずいこともある)。

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(ワインにとてもよく合う逸品。チーズ好きにはたまらない)

最後に「デザートは?」ときかれ、夫が食べることにしたので、私も釣られて、どっしりとした、日本より2倍の大きさはあるチョコレートケーキオーダーする。甘いものは別腹である。甘いが決してしつこい甘さではなく、つい全部食べてしまった。

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(「つい食べてしまった」(笑)チョコレートケーキ)


午後は、少しホテルで休んだあと、タクシーでタホ川をはさんで対岸にあるパラドールへ。ここからはトレド旧市街を一望することができ、三方をタホ川に囲まれたトレドが、まさに天然の要害の地に建てられた都市であることがわかる。丘の中腹から段々に甍を重ねて家が建てられ、町全体が一幅の絵のような、美しい風景となっている。グレコもこの辺りからトレドの街を描いたことで知られる。

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(パラドールからトレドの街全体が眺望できる。)

トレド旧市街の背後にはスペインの赤い土の大地が広がる。中世の昔、荒涼とした大地を旅し、眼前にトレドの街が見えたときにはさぞ感動したことだろう。また、建物は若干増えただろうが、当時とほとんど変らないであろう町並みを、今、臨んでいると思うと感慨深い。しかし広大なイベリア半島、さらに一時は中南米に植民地を有し、ヨーロッパ一帯を支配した大スペイン帝国の首都だった街としては信じられないくらいに小さい。


そしてこの日も、夜になってもお腹がすかなかった。とはいえ、ホテル併設のバルでビールを私は1杯、夫は2杯飲む。つまみは付き出しのオリーブと、タパスからムール貝のむき身をハーフサイズ(10粒くらい)。クリスマス・イブということで、地元のレストランや土産物店も早々に店じまい。われわれ観光客の多くは早めにホテルに帰り、ゆっくり休むことになる。

12月25日(4日目:トレドからマドリッドを経由してグラナダへ) 

翌朝は、ホテル近くのアルカーサ近辺を散歩し、タホ川対岸の風景を望んでトレドに名残を惜しむ。チェックアウトしてタクシーでトレド駅へ。タクシーの運転手さんがトランクからスーツケースを下ろしてくれる。我々が1つずつスーツケースを持とうとすると、夫に手振りで「女性の分も持て」と注意した。夫は「わかった、わかった」と「駅の構内まで」2つのスーツケースを転がしてくれた。

そういえば大昔、新婚旅行でフランス、イタリアを旅したときには、見知らぬ男性が私のためにドアを開けてくれたり、エレベーターに先に乗せてくれたりしたが、3年前のイギリス滞在では、イギリスはもちろん、フランス等に旅行したときもそうしたことは皆無に近かった。今回のスペインも同様で、「古都トレド」の年配のタクシーの運転手さんならではのことだったのかもしれない。まぁ、確かに、ヨーロッパの建物の重い扉は、女性が開けるには力がいるが、現代の自動ドアに力は不要である。


ともあれ、この日はクリスマスでどこも休み。そのためトレドから再びマドリードを経由して、グラナダまでの移動日に当てた。

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(アトーチャ駅に停車中のグラナダ行きAVE。車種はTalgo)

スペインが誇る国鉄"renfe"の長距離列車は明るくきれいで、椅子は座りやすく、窓は大きくて快適そのもの。席に着いてしばらくすると、乗務員のお姉さんが、飲み物は何がいいかと聞きにきた。ただ、最初何を言っているのかわからず、我々が「?」でいると見たお姉さんは「ジャパン?」と聞く。「日本茶のこと?」と勝手に解釈した私たちは、スペインで飲む緑茶も面白いかもしれないと「Si」と返事。来たのはスペインのスパークリングワインである Cava(カバ)だった。考えてみれば緑茶のわけはない。お姉さんは「シャンパン?」と聞いたのだ。夫婦そろってアホである。


車窓からは赤茶けたスペイン独得の大地が広がり、やがておそらく小麦畑になり(冬なので何も植わっていない)、南下するにつれ次第にオリーブ畑が多くなる。そして、細い川が縫うように流れる牧草地に植えられたオリーブ、白茶けた乾いた土地に植えられたオリーブ、丘陵に植えられたオリーブ、ごつごつした岩肌にもオリーブと、とにかくどんな地形にも延々とオリーブ畑が続く。ちなみにスペインはオリーブ生産量世界一である。


午後1時をまわったので、カフェテリアで昼食をとることに。「今日こそは軽い昼食にしよう」と、チーズとハムをはさんだサンドイッチ1人前を2人で分ける。食べ終わり、2時過ぎに席に戻ると乗務員のお姉さんがやってきて、再び飲み物のオーダーをとると、その後トレーに乗ったランチを持ってきた。よくよく見ると、ガイドブックにもちゃんと「高速長距離列車の1等(preferente)では食事が出る」と書いてあった。うかつであった。しかも美味しい・・・。メニューはイカ墨のご飯、赤ピーマンの中にチーズを詰めてオーブンで焼いたものにトマト味のクリーミーなソースがかかったもの、アンティチョークが入った野菜サラダ。ドレッシングは1回分の小瓶に入ったオリーブオイルとビネガー、塩、こしょう。予め混ぜてドレッシングを作らなくてもこれで十分美味しいことを知る。帰国後はわが家でも取り入れられることになるだろう。飲み物は赤ワインを頼んだ。

かくして、この日のランチもお腹いっぱい食べることになったのだった。

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(さすがpreferenteクラス! 機内食よりも豪勢なランチだ。)


約6時間の長旅だが、車窓の風景が珍しかったことや、椅子の座り心地がよく、1等客席が空いていたこともあり、全く疲れなかった。

グラナダに駅からは、真っ白な雪をいただくシエラ・ネバダ山脈を望むことができ、清々しい気分になる。

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(グラナダ駅のホームからシエラ・ネバダ山脈を望む)

いよいよ、イスラムの至宝・アルハンブラ宮殿のあるグラナダにやって来たのだ。グラナダは、スペインでレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復運動)が進むなか、最後までイスラムのグラナダ王国が栄えた地。最後の王、ボアブディルがカトリック両王に降伏し、アルハンブラ宮殿を無血開城したのは 1492年のことである。

グラナダの宿は、アルハンブラ宮殿側のアレクシア・ホテル。日本やアメリカのツアーがよく利用するとのことで、ロビーは多くの宿泊者で賑わっていた。ホテル自体に特別な風情はないが気楽な雰囲気で、そして何よりアルハンブラ宮殿へのアクセス至便である。

フロントは気さくなお兄さん。チェックインと同時に、夜のフラメンコショーが含まれるナイトツアー(ひとり25ユーロ)に申し込む。


荷物をおき、散歩がてらに、アルハンブラ宮殿と離宮(後述)の谷間の、自然の植生の残る道をてくてく下る。夕刻ということもあり、冷んやりとした、少し湿った空気が心地よい。坂を下りきると、アルハンブラ宮殿下を流れるダロ川沿いをヌエバ広場に向かって歩く。途中、土産物店やバルに並んで「ワイン蔵」を意味するワインバー・ボデガがあり、夜が楽しみ。その後、少しアルバイシン地区を散歩してみることに。

グラナダは、キリスト教徒たちが住む地域のほか、グラナダで最も古い一帯であり、イスラム王国時代の街の中心であった白い家並みのアルバイシン地区、古くからジプシーが住んでおり現在もフラメンコショーを行う店があるサクロモンテ地区がある。

ところが、適当な角で曲がったため、道に迷ってしまう。適当に歩きながらも高台に出ると、夕暮れ時の空に映えるアルハンブラ宮殿の美しい姿に出会った。宮殿の上には三日月が出ている。「イスラムの空には三日月が似合うね」などと勝手に決めつけながら、しばしうっとりと見とれる。そういえば、マドリードではほぼ新月だった。2週間の旅程だから、この月が満月になるころ、日本に帰国することになるのだ。

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(アルバイシン地区のランドマーク。エル・サルバドール教会)

市街地に下り、カテドラルへ行ってみると、扉が開いていたので、聖堂内に入ってみる。熱心にお祈りをしている人もいたので、入り口付近で夜のカテドラルの雰囲気を静かに味わわせてもらった。

カテドラル近くの細い路地は土産店になっていて、アラブ風の布、革製の物入れ、ガラスのグラスなどが売られている。また、カテドラル近くのビブ・ランブラ広場では、クリスマスシーズンのためかいつものことかはわからないが、若手の作家たちがそれぞれ自作のジュエリーやおもちゃ、人形、カバンなどを売る露店が並んでいた。冷やかして歩く中、陶器のタイルを時計板にした置き時計を気に入り、お土産に購入した。15ユーロ。

その後、ヌエバ広場近くのバル&レストランで食事。ふたりでピンチョスのセット1つと、豚ヒレ肉のローストをオーダーする。欧米人ならそれぞれが自分の頼んだものを食べるところだが、私たちはお互いの料理を半分ずつ楽しんだ。豚ヒレ肉は、日本で食べるより、肉の味がしっかりしており、かつふっくらしていた。スペインは、肉がおいしい! ワインがおいしい!そしてまたもや食べ過ぎてしまった。


ホテルのロビー9時15分集合のフラメンコショーのナイトツアーに出かけるため、ヌエヴァ広場からバス(狭い道を走るので日本でいうコミュニティバスのような感じのバス)に乗り、ホテルに戻る。

ホテルのロビーには、すでにナイトツアーに参加する人が集まりつつあった。30人もの、日本人の大きなツアー客と一緒になる。ほかに我々のような日本人の個人客2〜3組と、外国人の個人客が4〜5組といったメンバーだ。バス2台に分乗して、サクロモンテ地区にある、昔ジプシーの住まいであった洞窟を利用した、タブラオと呼ばれるフラメンコショーの店に向かう。

観客は洞窟の両側に椅子を並べて座り、踊り手はその目の前で踊る。「パルマ」と呼ばれる手拍子と、踊り手が踏みならす「サバテアート」と呼ばれる靴音のリズムが、ギターの音色と歌にフラメンコ独得のリズムを重ねる。これまでフラメンコは、新宿の「エル・フラメンコ」という店で観たことがあったが、そちらの方がよりエンターテイメント化された構成で、迫力があったように思う。ただ、ジプシーたちが自分たちの洞窟の中で楽しんだ本来のフラメンコは、タブラオの雰囲気の方であろう。とにかく、あっという間に時間は過ぎ、ショーの最後には、観客の何人かが踊り手に誘われて中央に出、一緒にステップを踏んで皆で楽しんだ。

タブラオを出たあと、現地の方のガイドで夜のアルバイシン地区を少し歩き、夕方に行った見晴らしのよい高台に出る。同じアングルだが、ライトアップされた夜のアルハンブラ宮殿は幻想的だった。

IMG_1845.jpg(ライトアップされたアルハンブラ宮殿)

12月26日(5日目:グラナダ) 

この日は、朝10時の、アルハンブラ宮殿内のナスル朝宮殿のチケットをとっていたため、朝8時の開門と同時に予約券引き換えの列に並ぶことにした。混雑を避けるため、1番の見どころであるナスル朝宮殿は時間予約制になっているのだ。ちなみにチケットは、インターネットで日本から予約することができる

入り口を探していると、スペイン人のお爺さんが親切に教えてくれる。そして突然夫の足下に台を置き、靴磨きのブラシを出してやはり親切そうに「靴を磨いてあげる」と言う。うっかり足を台に上げそうになる夫を慌てて引き止める。以前パリで「ポラロイドカメラで写真を撮ってあげる」と写真を撮り、お金の換算がすぐにできないことを見越して法外な値段をふっかける手口にだまされそうになったことを思い出した。

ナスル朝宮殿の予約の10時までにはまだ時間があったので、アルハンブラ宮殿の最も古い部分であるアルカサールを先に見学。美しさで知られるアルハンブラ宮殿だが、同時に軍事施設でもある。アルハンブラ宮殿は、平地に突き出したシエラ・ネバタ山脈の支脈であるサビカの丘に建ち、三方を崖に囲まれた自然の要塞に守られている。その先端にあるのがアルカサールで、見張りのためにオメナッヘの塔、スルターナの塔、そして下部は居住空間でもあったベラの塔が建っており、それぞれの塔から少しずつ異なるグラナダの街の風景を見ることができる。昨日はアルバイシン地区からアルハンブラ宮殿を臨んだわけだが、アルハンブラ宮殿から臨むアルバイシン地区の眺望も素晴らしく、朝陽を受けて家々の白い壁が輝くいていた。

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(アルハンブラ宮殿のアルカサールから朝のアルバイシン地区を望む)

また、ベラの塔先端には鐘が吊るされており、カトリック両王の時代に、農民たちは鐘の音を合図に畑に水を捲いていたのだという。

アルカサールを出た後、ぶどう酒の門、裁きの門を見学。裁きの門はイスラムを象徴する馬蹄形アーチ、レースのような繊細な模様のタイル、イスラム教の戒律に由来する彫刻などをもちながら、キリスト教時代に聖母像が備え付けられている強引さが痛々しい。そしてこうした風景を、この後多く見ることになる。

10時近くなったため、土産物店が店開きし、「アルハンブラ散策」という、アルハンブラ宮殿のガイドブックを購入。これも、解説してくれるガイドさんのいない個人旅行者にはお薦め。本を片手に宮殿内をめぐった。


ナスル朝宮殿内は、メスアール宮殿、コマレス宮、ライオン宮に別れており、各宮それぞれに、見事なイスラム様式の部屋や中庭をもっている。宮殿に共通するのは、息を飲むほど詳細で流麗な、白い壁一面に施されたイスラムの幾何学模様や草花をモチーフとした彫刻である。規則正しい配置は音楽的で、華やかでありながら整然とした清潔感がある。コマレス宮ではアーチを支える柱に小さな棚が設けられているが、水の瓶や香料、華などを置くのに使われたのだとか。美しい彫刻だけでなく香りに満ちた宮殿は天国のようだったことだろう。

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(アーチの柱に設えられた棚)

アルハンブラ宮殿のもう1つの特徴は、水の多用である。コマレス宮のアラヤネスの中にはには巨大な水鏡が設えられており、水面にコマレスの塔が逆さに映し出されて、宮殿があたかも水に浮かんでいるように演出されている。ほかの庭にも中央に噴水があるなど水が効果的に用いられている。

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(インドのタージマハル廟にも同じ手法が用いられている。)

ほかに、窓から射す日によって時刻がわかる建物、室内に地下水をひいた噴水を置き、夏でも鍾乳洞のように涼しい空間となるよう設計された部屋など、あらゆるところが計算しつくされている。しかし計算しつくされ、装飾も華美でありながら、人工的な印象はなく、自然の中にいるような心地よさが感じられる。樹木や海岸線などは無限の自己相似図形のフラクタルというように、自然は驚くべき規則性を持っている。そうした自然の規則の中に溶け込むのが、イスラムの技術と装飾であり、それが心地よさの源なのだろう。

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(ドームの内側の見事な装飾。溜息が漏れる)

ナスル朝宮殿をあとにし、「パルタル」と呼ばれる一角から、「グラナダの王が宮廷の雑務からのがれて憩いの時を過ごすための別邸だった」という離宮のヘネラリーフェへと向かう。天気がよかったこともあり、離宮までの城壁沿いの散策道、野外劇場(1952年建設で新しいもの)、イングリッシュガーデン風の、植栽を小さな庭の仕切りに使った庭園の散策が気持ちいい。ヘネラリーフェは南国を思わせる明るい離宮で、アルハンブラ宮殿とその背後のアゼルバイシン地区を一望できる、まさに風光明媚な場所となっている。我々も見晴らしのよい場所に出るたびに、いろいろな角度からアルハンブラ宮殿とグラナダの街の風景を堪能した。

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(ヘネラリーフェの中の噴水)


午後は「シエスタになる前に見学を」と、まずは新市街のカテドラルへ。二台のパイプオルガンが素晴らしく、映画にもなった、“狂女ファナ”と、その夫フェリペの墓もある。また、やはり「スペイン帝国」のカテドラルにふさわしく、深紅の布に施された金糸の刺繍の法衣などの展示が素晴らしかった。

昼食は、「この日こそ軽い昼食を」ということで、バルを探してうろうろするうちに、多くの地元の人で賑わっているバルを発見する。「グラナダのバルで飲み物を頼むと必ず付き出しにタパスが1品ついてくる。グラナダっ子たちはバルを2〜3軒はしごし、それで昼食の代わりにすることもあるらしい」と夫。近寄っていくと店のお兄さんに「Beer?」と声をかけられたのでうなずいて「Dos(=2つ)」と夫。生ビール2つに、レンズ豆をベーコンで煮込んだタパスが出てきた。豆はやわらかく、ベーコンの味がしみていておいしかった。

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(突き出しのタパス,無料)

お会計をして次の店を探そうとしたが、慣れぬ街のこと。そうそう簡単によさそうな店がみつかるわけはない。足も疲れたので、カテドラル近くの広場に面したレストランに入り、ランチメニューを頼む。1皿めは夫が野菜サラダ、私がスープを注文。サラダは日本で食べるのと同じで、レタスやトマトなど。スープはチキンスープ。メインはパエリヤ。


昼食後は、前日道に迷ったアルバイシン地区を、今度はガイドブックの順路に従いながら、改めて散策する。

アラブ風の土産物店が並ぶ坂道を上っていくと、やがて白い壁の続く町並みとなる。途中、地元の画家の家がミュージアムとして無料で公開されていたので、入ってみる。家は斜面に立てられているので、棟と棟の間は階段と渡り廊下でつながっている。棟に囲まれた中庭にはブーゲンビリアなどが植えられ、遠くにはシエラ・ネバタ山脈を望むことができる。白い壁の外から想像するよりずっと豊かな空間だ。「外見より中身が大事」というのはイスラムの教えとのことで、家の造りもその理念が反映されているらしい。日本も「外見より中身が大事」だったと思うが・・・。ほかに、部屋の1つが画家の方が暮らしていたままになっており、当時の生活が偲ばれてた。

細い路地を抜けながら歩くと、サルバドール教会(たぶん)があった。ここは昔、この地区のイスラム寺院の中心的な役割を果たしていた寺院だったとのこと。かつて開いていたであろうアーチ下の空間を壁で塗り込め、マリア像などが飾ってある。マリア像自体が悪いわけでは決してないが、やはり無粋である。塗りこめることで教会内は暗く、陰気になってしまう。中庭のパティオはイスラム様式のままで、ほっとする空間となっている。

さらに坂を、サクロモンテ地区へと登る。昨夜訪れたタブラオや、ガイドブックに載っていたタブラオも発見。家の中から聞こえてきたのは、ギターではなく、バッハをたどたどしく練習するピアノの音色だったのはご愛嬌。

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(アルバイシン地区からアルハンブラ宮殿を望む)

夕食をとろうと、エルビラ通りを徘徊。「ラ・マンチャ」というレストランに気付きながらも、それがガイドブックに載っていたオススメの店とは気付かず、何となく、斜向かいの店に入る。

その店は混んでいた。混んでいるのだから美味しいと思った。しかし、ウエイターさんは客の扱いがぞんざいだった。スペイン語のメニューを前に飲み物選びに時間がかかっていた私だったが(夫は早々に生ビールと決めていた)、ウエイターさんが注文をとりにきたときの、「早く言え」雰囲気に負けて、私のために勝手にハウスワインの赤をオーダーする。私は、ハウスワインがまずかったこともあるので「え"!?」と思ったが、とりあえず保留。ワインがくると、水で薄めたようなワインで飲めたものではない。オーダーしたクロケッタ(コロッケ)は、粉末ポテトに牛乳を入れたマッシュポテト(そんなもの食べたことはないが)に衣をつけて揚げた感じ。コロッケの付け合わせは何と!フライドポテトである。しかもファーストフード店の細切りのフライドポテトを1日置いて、ぐんにゃりさせた感じ。豚の臓物の煮込みは、ガイドブックには郷土料理として紹介され、「臓物料理ながら臭みはない」とあったが、臭い。

もちろんどの町でもまずいレストランはあるから、これまでどのレストランもバルも美味しかったスペインの罪ではない。ただ、不機嫌になった私に恐れをなした夫は「残して出て、他の店で何か食べよう」と提案。

ヌエバ広場まで戻り、昼時に地元の人で混雑していた、スタイリッシュな感じのバルに入る。ここでは前の店の「リベンジ」とばかりにクロケッタと、多くの人が食べていた鶏肉と豆のトマト風味のクリーム煮のようなものを指さしてオーダーした。ワインはリオハの赤のグラスワイン。クロケッタは、厚めの衣がサックリと香ばしく、一口かじるととろーりとしたホワイトクリームが出てきて美味。チキンと豆の煮込みもとても美味しかった。

私の機嫌はたちまち直る。現金なものだが、やはりおいしいご飯は基本だろう。

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(店の名前を忘れてしまったが,ヌエヴァ広場からすぐ。カテドラル方面に向かって左側。混んでいるからすぐにわかると思う。モダンな感じのお店。)

12月27日(6日目:グラナダからマルベーリャへ) 

ホテルをチェックアウトして、タクシーでAUTOBUS乗り場へ。マラガ経由でマルべーリャに移動するためだ。

スペインでは、鉄道がないところは長距離バス網が整備されているようだ。主な移動は太陽海外航空株式会社さんに切符をとってもらっていたので、今回の旅行で初めての「自分たちでの切符購入」となる(*市内のバスには乗ってますけどね)。窓口で切符を買い、発車番線と時間を電光掲示板で確認。時間近くなると運転手さんが、バスのドアの前で切符に書かれた行き先を確認した上で、切符を切ってくれた。この後、何回かバスを利用するが、切符の切り方は端を破く人、手で切れ目を入れる人、パンチで空ける人など様々。どうやら方法は運転手さんにまかされているようだ。

オリーブ畑の多い車窓の風景を楽しみながら、1時間半ほどでマラガに到着。マラガは、「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」と呼ばれる、世界屈指のリゾート地の中心であり、遺跡や教会のほか、ピカソ美術館などの見どころも多いが、我々はスキップ。バスを乗り換え、主に海岸線をさらに1時間半ほど(直行便だと1時間ほど)走って、マルべーリャに到着した。マルべーリャは、コスタ・デル・ソルの中でも、さらに最高級ホテルや大きな別荘が建ち並ぶ美しいリゾート地である。「忙しく観光してまわるだけでなく、少しのんびりしたい」ということで、滞在を決めた。

2時少し前にホテルにチェックインしたあと(本当はチェックインは2時〜)、ホテルでサンドイッチの昼食。これは、ハムとチーズのホットトーストで、やはり思ったよりボリュームがあった。夫はほかにガスパッチョもオーダー。これは美味しかったらしい。

ホテルから街の中心地までは、徒歩約40分といささか遠い。しかし、海岸沿いに美しい遊歩道が整備されており、散歩に最適のコースとなっている。

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(マルベーリャの海岸を散策)

天気は生憎の曇りだったため、地中海の青い空と海の色は楽しめなかったが、「高級リゾート地とはこういうところなのか」と興味津々。プライベートビーチこそないものの、明らかに個人のものと思われる海岸沿いの大きな邸宅や、コロニアルな雰囲気の、海に面したホテルのレストラン&ラウンジなどを垣根越しに「見学」した。

途中、少し雨に降られて雨宿りしながら、ヨットハーバーなどを見る。夕食は、海岸沿いの「Barbacoa La Pesquera」というシーフードレストランに入る。頼んだのは「アンチョビのオリーブ漬け」「生ハムメロン」「アサリのワイン蒸し」「小魚のフライ」をふたりでシェアしていただく。

12月28日(7日目:マルベーリャからロンダへ一日観光) 

「マルべーリャではゆっくり」とは言うものの、ここを拠点に「白い村」で有名なアンダルシアの町やジブラルタルに日帰りででかけようと考えていた。

朝フロントで交通を訪ねると、当初考えていた「白い村」のミハスは、マルべーリャからはバスの便が今ひとつらしい。ジブラルタルへのバスはちょうどよい時間をすでに逃していた。そこでフロントのお姉さんのお奨めで、急遽ロンダに行くことにした。

ロンダには、幾重もの山々を、時に「いろは坂」のようなカーブを何度も通ってたどり着くことができる。途中白い石灰岩の山肌が露になっている場所もあり、ここがかつて海の底であったことがわかる。

ロンダは、標高700メートルの高原にある街だが、そのため、Alamed adel Tajo(断崖の並木通り)や、パラドールなど街の端の展望のよい場所からは、眼下に広がる広い耕地や遠く山並みを望むことができる。

パラドールに隣接して、ネオクラシック様式のロンダ王立騎兵学校闘牛場があり、そこを見学。闘牛はオフシーズンのため観ることができないが、その代わり闘牛のリングの中にも入ることができる。世界各国から観光客が訪れていたが、どの国の人も、コートを脱いで広げて持ち、赤い布に見立ててリングの中央でポーズをとったり、連れのひとりが牛の真似をしたりして、記念写真を撮っていた。

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(闘牛というのも一度見てみたいもんだ)


さて、ロンダの街を旧市街と新市街に分けるグアダレビン川は、長い年月を経て土地を削り、深さ約90メートルの渓谷となっている。この渓谷にかかるのが、プエンテ・ヌエボ、すなわち「新橋」で、自然の断崖にかかる人間が造った橋が、素晴らしい景観を創り出している。

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(プエンテ・ヌエボからパラドール方面を展望。絶景!)

橋から景色を楽しんだあと、写真にあるように渓谷の底から橋を見上げてみたいと、橋の上から見えた歩道を降りてみる。ところが歩道は整備中で、橋が見えるところまで行くことができなかった。今年の夏や冬ごろにはでき上がっているのではないだろうか?(要確認。闘牛場の土産店で買った「ロンダ一日散策」によると、他に橋の全容を見られるスポットもあるようだ)。

降りた坂をプエンテ・ヌエボまで戻り、断崖に建つホテル「ドン・ミゲル」のレストランに入り、オックステールのシチューとホワイトアスパラガスのグラタン、そしてリオハワインのBeronia CRIANZA 2003」を頼んだ。お腹が空いていたことや、絶景の中で食べたことなどの要素も組み合わさってのことだが、料理もワインもものすごく美味しかった。「おいしい」「しあわせ」などと言いながら、あっという間に平らげてしまった。

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(ドン・ミゲルのオックステールシチュー。ウマ〜)

食事のあとは、闘牛場の土産店で買った「ロンダ一日散策」という小冊子を手に、モーロ王の家やモンドラゴン宮殿などを見学。モーロの家の見学コース入り口からは、ラ・ミナという階段があり、ここは、ロンダの街に水を供給するために掘られた階段だとのこと。イスラム教徒の支配時代、キリスト教徒の捕虜が、この階段を上り下りして水を運んだのだそうだ。

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(ラ・ミナの途中。休憩するところだったらしい。)

モーロの家からは、川の対岸にロンダの現在の住宅地だろうか?白い家並みを見ることができる。私たちは帰りのバスの時間があったため帰路についたが、白い家並みの中の散策や要塞巡りなど、もう少し長く滞在しても楽しめるだろう。

それからもう1つ。道沿いの土産物店で、ロンダ名産の、刺繍のきれいなテーブルクロスを購入した。


夕食はマルべーリャで。やはり海岸沿いのレストランで、ふたりで野菜サラダ、カジキマグロのグリル、豚ひれ肉とフルーツのカレーを注文。味はまぁまぁ。やはり量が多く、豚ひれ肉は1皿にひれ半本分くらい入っていたのではないかと思う。この日は昼食もしっかり食べていたので、食べきれなかった。

ロンダ:http://www.turismoderonda.es/index.htm

12月29日(8日目:マルベーリャから英領ジブラルタルへ一日観光) 

マルべーリャ滞在3日目は、英領ジブラルタルに足を伸ばす。マルべーリャからジブラルタルに行くバスを、再びバス時刻表を見ながらフロントのお姉さんに教えてもらう。これは教えてもらわなかったら絶対にわからなかった。というのも、"Gibraltar"という単語は時刻表のどこにもないからだ。ではジブラルタルに至る最も近いバス停は何と言うか? 実は"La Linea"(国境線)である。

午前中は8時半と11時半の2便だけのため、8時半のバスに乗るべくホテルを出発。1時間半ほどで"La Linea"に着く。10分ほど歩いて「国境」へ。パスポートを見せて検問所を通ると、いきなり自働販売機など全てポンド表示になる。赤い2階建バスも走っている。ただし、混乱を避けてか、自動車だけは大陸式の右側通行だった。

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(バスも警官も英国。もちろん通貨も。)

お金は、ガイドブックにはユーロも使えると書いてあったが、目抜き通りに並ぶブランド店なや土産物店などを除き、普通の店はポンドが必要。もちろん両替所はあちこちにあるからだいじょうぶ。

ポンド札の表面は、エリザベス女王の肖像だが、裏面はジブラルタル独自のデザイン。たとえば£20紙幣の裏には「ジブラルタルの猿」も登場している。切手もジブラルタル独自のデザインだ。

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(旅先から絵はがきを出すのは,古くからのヨーロッパ的"お土産"。ジブラルタルのポスト・オフィスも人気だ。ただし,ポンドしか使えない。)

英領ジブラルタルは、フリーポートで、香水などを買い物客が大挙やってくることで知られているとのことだが、我々はそちら方面の関心は薄く、ジブラルタルの岩山(the Rock)観光とちょっとした英国気分を味わうのが目的だ。

とはいえ、「どのくらい安いのだろう?」とフリータックスの店をウインドウショッピング。時計店、宝飾店、香水店、酒店が目立つ。しかし宝飾品や香水は日頃買わないので、価格を比較できない・・・・。そこでもっぱら酒店で価格を比較してみると、さほど安くない? 今ユーロが強く円が弱いこともあるだろう。まわりを見回すと、他の国の人も「お酒で価格を比較」している人が多いように思え「ウチの近所とあまり変らないわね」実などと言っている人もいた。


昼食は、夫は嬉々としてパブランチ。Gibraltar A・R・M・Sというパブで、スピットファイアとフィッシュ・アンド・チップスを食べた。私はオレンジジュースとハンバーガー。相席になった、地元の"話し好きのおばあさん"との雑談も懐かしい。ちなみにおばあさんはジャックポテトを注文したら、握りこぶし2つ分くらいの見たこともない大きさで、英国人にとっても珍しいらしく「大きい!」と驚いていた。そしておばぁさんには食べきれなかった。

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(たまたまこの日は聖金曜日。聖金曜日には魚を食べる。)

さて、いよいよ岩山と思い、ケーブルカー乗り場を目指したが、途中、観光タクシーのおじさんに「今日はケーブルカーは、職員がパーティで(!?)休みだよ。タクシーなら見どころをめぐって、洞窟観光のチケット付でお一人様£25!」と声をかけられた。ほかの国の観光客も結構利用していたようなので、我々も乗ってみることに。我々を含め7人がタクシーに乗り込んだ。

まずは、ジブラルタルとアフリカ側でヘラクレスが地面を支えていたという、ヘラクレスの柱の記念碑のところから海峡を眺望。ジブラルタル到着時は曇天だったが、少し雲が晴れ、何とか遠くにうっすらアフリカを眺望することができた

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(海峡を行き交う船)

続いての見晴らしのよい場所からは、夏ほどではないだろうが、エメラルドグリーンの美しい地中海や、白い海岸線を一望することができた。またここには「ジブラルタルの猿」がたくさん! すっかり観光客慣れしていて、タクシーの運転手さんは猿の扱いもお手の物だ。タクシーに同乗したお姉さんがかわいい子ザルにビデオカメラを向けてしゃがむと、別の猿がお姉さんの肩に乗ってしまうなどというアクシデントもあった。

洞窟の出口にも猿がたくさんいたが、何と、チョコレート味のアイスキャンディーを食べる猿も。ここまでくると、猿の健康が心配である。


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(健康が懸念されるゾ。われらがスクラッフィ!)

ジブラルタルは英国とスペインとの間に何度も激しい争奪戦があった場所だが、地中海側、大西洋側のどちらから攻められてもよいように、岩山には戦闘や弾丸・火薬保管のために、一部自然の鍾乳洞も利用した洞窟が掘られている。ところどころに当時を再現した人形が飾られているほか、一番広い鍾乳洞は現在コンサートホールに利用されている。見事な鍾乳石がライトアップされた洞内は幻想的で、ここでオペラが上演されたら、舞台装置の一部となって、さぞ素晴らしいことだろう。

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(洞窟の中のホール)

その後、博物館などを見学して「英国」に名残を惜しみつつ帰路に着く。この日は、マルべーリャ中心部の、一昨日入ったレストランの本店でパエーリャと、最後にデザートワインのマラガワインをいただいた。

12月30日(9日目:マルベーリャでのんびり。夕刻,マラガを経由してバルセロナへ夜行列車で移動) 

マルべーリャ最終日のこの日は、チェックアウト時間ぎりぎりの11時半ごろまでホテルでのんびり。土曜日のため、部屋のバルコニーから見えるモスクからはイスラム教のお祈りの声が聞こえ、多くの人が礼拝に来ていた。

チェックアウト後は、ホテルにスーツケースを預かってもらい、再び海岸沿いをマルべーリャ中心部まで散歩した。この日は晴天のぽかぽか陽気。ホテルのサンテラスで日光浴する人や、水着で砂遊びをする子どもたちもいた。私も靴を脱いで地中海に足を浸けたりしながら、のんびり散歩した。

遊歩道はジョギングをする人も多い。おそらく長期滞在者だろう。「セレブ」な人も多いらしく、中には高価そうな生地のトレーニングウエアを着て、首から1粒がアメリカンチェリーくらいの大きさの黒真珠のネックレス(しかも先端に大きな宝石がついている!)をしながら、ジョギングしている女性もいた。「ジョギング」しているのだから重そうなネックレスははずしたほうがよいのでは?と思うが、それでは首がさびしいのが「セレブ」なのだろうか? 想像できない世界があるのだなぁと思った。

好天とあって、レストランはどこもテラス席が人気。砂浜に机と椅子を出した簡単なレストランも多い。その1軒に入って昼食をとることにする。

店主はとても陽気なおじさんで、「今日の陽気はマルべーリャでも暖かいほう?」と訪ねると「暖かいどころか暑い!地球の終わりだ!」と嘆いていた。実は17度あったらしい。日本人慣れしているらしく、「夜たくさん食べるつもりなら、サラダとブルスケッタを1つずつとって、ふたりでシェアするので十分」と勧めてくれた。かくして、スペイン旅行9日めにして「日本人のお腹にちょうどいい量の昼食」を食べることになる。実は胃が膨張していたためか少しもの足りないくらいだったが、胃を休めることができたと思う。

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(特製スパイシーソースで美味しくいただいた)

砂浜のカフェで一休みするなどしながらホテルに戻り、荷物をピックアップ。タクシーでバスステーションまで行き、マラガに到着。マラガからは夜行列車で、バルセロナに向かうのだ。


マラガーバルセロナ間には飛行機もあり、こちらのほうが早いのだが、列車の旅の旅情を味わおうと、夜行列車を選んだのだ。

マラガ駅は新しく建て代わった直後らしく、ゴージャスでピカピカだった。日本でもおなじみの「ZARA」をはじめとするブティックや、スワロフスキーのアクセサリーの店など、多くの店が入る巨大ショッピングセンターと一緒になっている。少しだけウインドウショッピングをして、ホームへ。実はこのとき、「グラン・クラス」の切符をもった乗客専用の待合室を利用できたらしいのだが、気付かなかった。

トレインホテルのグラン・クラスは完全個室(ベッド上下2段)で、夕食・昼食もつくだけでなく、簡単ながらシャワーも使えるという快適なもの。バスタオルやタオル、洗面道具の入ったポーチもついていた。

食堂車も広々としていて落ち着く雰囲気。ワインも赤、白、ロゼ、発泡ワイン何種類かずつから選べるのもよかった。

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(チョイスしたワイン)

食事はスターター、メイン、デザート数種類ずつから選べる。メインは夫は牛のサーロインステーキ、私はイベリコ豚のハムステーキを選んだ。通常なら豚のハムステーキより牛ステーキのほうが美味しそうだが、今回は豚に軍配。

客車に戻り、シャワーを浴びて就寝。疲れもあるが、ぐっすり眠ることができた。

12月31日(10日目:バルセロナ) 

朝起きて身支度をすませ、朝食をとるために再び食堂車へ。朝食はコンチネンタル。列車が海岸線に出ると、地中海からちょうど日が昇る時間だった。初日の出には1日早いが、思いがけず日の出を見ることができたのは嬉しかった。

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(バルセロナに向かうトレンホテル車中から朝日)


バルセロナ駅からはタクシーに乗り、最後の宿泊先であるアヴェニーダ・パレス・ホテルへ。朝9時すぎとあり、さすがにまだチェックインはできないので、荷物を預けて観光に出る。

まずはグラシア通りにある、ガウディ建築のカサ・パトリョへ。改装中で見学できないグエル邸の代わりと言っては何だが、こちらは現在内部も公開されていて、朝から行列ができていた。16.50ユーロは高いな、と思ったが、日本語のイヤホンガイド付であり、見学後は、妥当な値段だと思った。

最初にイヤホンガイドを聞けたのがラッキーで、カサ・パトリョだけでなく、ガウディの建築思想や特長などを知ることができたため、この後の見学の大きな助けとなった。

ガウディはモデルニスモの建築家ということで、フランスでいうアール・ヌーボーにあたる。つまりガレのランプシェードに見られるように、きのこのモチーフも多用している。そのため「きのこ嫌い」の私は、ガウディ建築のデザインはあまり好きではなかったのだが、解説をきくと、ガウディの、生物を含めた自然に着想を得た構造設計のエレガントさ、空調や採光といった機能と視覚的美しさを兼ね備えた設計など、どこも素晴らしく、見に来て良かった!とつくづく思った。

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(カサ・パトリョの屋上のカタツムリの背中?)

途中、カサ・ミラの前を通るが、ここも長い行列。そこで先に、ラ・サグラダ・ファミリア教会へ向かうことにする。ここも長い行列ができていたが、30分ほどでチケットを買うことができ、教会の内部へ。ファサードの彫刻も素晴らしいが、内部は「つくりかけ」であり、そこここに建築資材や建築機材が置かれているにもかかわらず、ガウディの計画の壮大さがうかがえてさらに素晴らしかった。

天井の太陽を思わせるきらびやかな円形の装飾から幾本もの筋になり下に延びる柱は、天上から射す光を思わせた。ところがあとで解説を読むと、柱は下から天に向けて伸びる樹木の幹と枝であり、「天の太陽」と思った個所は木の実のモチーフだった(笑)。また、外部からの光は一部はめこまれたステンドグラスを通して様々な色に変わり、柱に映し出されていた。従来の教会は、現代のように窓を広くとることができないという構造上の制約もあるだろうが、暗く、重厚な印象で、ステンドグラスからの光も一筋の希望の光といった印象である。しかしこの教会が完成すれば、堂内はいつも時間とともに変化する色とりどりの光に満ちあふれ、人々は神とともに幸せな時間を共有するようになるのではないだろうか。

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(ステンドグラスも美しい)


そして教会の内部にも何やら長い行列ができている。これは完成した塔にエレベーターで上るためのものだ。1時間半待つ間に時計を見ると日本ではちょうど深夜12時。新しい年を迎えたことになる。塔に登ると、大小の塔やとんがり屋根の頂上に設えられたフルーツのオブジェや、外では下から見上げたファサードの彫刻などを間近に見ることができ、迫力がある。

帰りは有名な巻き貝のデザインの階段を使って塔を降りる。下をのぞき込むと足がすくんだ。

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(有名な巻き貝の階段)

とにかく建築の壮大さと、ガウディの意志のようなものに圧倒され、感動して、帰国後ゆっくりガウディ建築を反芻したいと、土産物店で写真入りの解説書を購入。ついでに翌日訪れる予定のグエル公園のガイドブックを買った。

昼食は、通りがかりのバルで、それぞれタパスを3品ずつ。「酒好き」なので、ジュースのようなサングリアにはこれまで手を出さずにいたが、「スペインにいる間に1度くらいは」と、サングリアを頼んだ。味はフルーツポンチみたいだが、アルコール度数は結構ありそうだ。

その後、またぷらぷら歩きながら、カサ・ミラへ。午前中よりはいくぶん列が短くなっていたので、列に加わる。30分以上待って、内部へ。

カサ・ミラはエントランスを見学したあと、屋上と屋根裏の一部を見学するシステム。その他の建物内部は残念ながら非公開だ。屋上は、楽しい公園という感じ。換気のための煙突(煙のためではなく換気のためので「煙突」はおかしいかもしれない)に施されたオブジェはよく「兜をかぶった兵士」にたとえられるが、私には埴輪と、大きなものはタイあたりの大仏を下から見上げた感じに思えた

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(大仏?と埴輪?)


大晦日ということで、どこかで年越しのディナーを贅沢に食べようと思っていたが、有名店はすでに満席、もしくはあまりの高価さに不戦負。ホテルに戻って、レストランを予約してもらう。「年越しだし、少しドレスアップしていいレストランに行きたいのだけれど」と言ったつもりだが「今日は大晦日だから、どこも一杯で無理よ」みたいな感じで、ホテルがなじみのレストランに予約を入れてもらう。

ホテルで少し休んでから、夕食前に、ガウディのライバルとされた、バルセロナのあるカタルーニャ地方を代表する建築家、ドメネク・イ・モンタネールによるカタルーニャ音楽堂まで行ってみる。実は私はこちらのほうが気になっていて、「現役の音楽ホールなのだから、この世界遺産のホールで音楽を聴いてみたい」とひそかにもくろんでいた。しかしチケットオフィスも見学コースもすでにクローズド。ライトアップされた音楽堂の外観だけカメラに納め、音楽堂はまた出直すことにして、レストランへ向かった。

レストランは、スペインによくあるタイプで、入り口付近がカウンターのバル、奥がカジュアルな着席のレストランとなっている構造だ。予約は入っていたのだが、席がなくて、お店の人が急遽こしらえたテーブルでの食事となった。ちょっと落ち着かなかったが、味はおいしかったので、良しとしよう。ちなみに頼んだのは、下の画像の一品、ムール貝の酒蒸し、骨付き羊肉のグリル、そしてもちろんリオハワイン!

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食事後、ホテルの人に「新年のカウントダウンがある」ときいたカタルーニャ広場まで歩く。ヨーロッパの年越しといえば、新婚旅行のときの、ヴェニスのサン・マルコ・広場でのカウントダウンと広場にいた人と交わしたシャンパンの乾杯と、ささやかながら打ち上げ花火。2004年新年を迎えたシチリア・パレルモの、うるさいほどの爆竹と、音楽堂屋根の四頭立て馬車の銅像が炎の中から浮かび上がるような演出の幻想的な花火、そして見知らぬ人々と交わしたやはりシャンパンの乾杯が思い起こされる。そこでバルセロナの年越しはどうだろうかと、いやがおうにも期待は高まる。

お巡りさんもたくさん出ていた。が、残念ながら、若者が仲間と広場に集まり、特別なカウントダウンもなく、広場の時計が12時を指すと、仲間同士で乾杯したり、盛り上がったり、どんちゃんしたりという感じで、バルセロナの街としてのイベントは特になかった。勝手に期待した自分たちが悪いのだが、少し残念だった。ほかの観光客たちも同様だったようで、地元の若者たちを残し、三々五々宿に帰っていったようだ。

ホテルに帰ってテレビをつけると、世界各国のカウントダウンを放映していた。ニューヨーク、シドニー、北京、ソウル。そして東京は、東京タワーから新年を迎えると同時に風船が放たれる風景と、「日本のトラディショナルな年越し」と紹介されながら、「ゴーン」とどこかのお寺の除夜の鐘が鳴った。その後、バルセロナと経度がほぼ同じながら、タイムゾーンの関係で1時間遅れで新年を迎えるロンドンの年越し風景が映し出された。ロンドン・アイに仕掛けられた花火が何発も上がる、盛大なイベントだった。

ということで夫と「明けましておめでとうございます」と言い合って、就寝。

1月1日(11日目:バルセロナ) 

キリスト教国のスペインでも、元旦は休日。観光スポットの多くも休みである。そこで、休日とは関係ない「公園」(グエル公園)に、路線バスに乗って出かける。

グエル公園は、ガウディのパトロンであり友人であったグエルが、イギリスの田園都市をモデルに、空気が悪く不衛生な都会から少し離れた郊外に健康的な居住地区を建設しようと、ガウディに設計を依頼したものである。ところが売れ行きが悪く、途中で建設を断念。バルセロナ市が買い取って、公園となっている。

敷地は壁で外部と隔てられており、門を入ると、かつて管理事務所や訪問客の待合施設だったところが、現在は土産物店や博物館になっている。この、ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家のような建物は確かにステキではあるが、居住地としては落ち着かないかも。売れ残った理由がわからなくもない。

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(ちょっとお天気が今一つだったが,楽しかった)

しかし「公園」としてのこの場所は、楽しいことこの上ない。ただ歩き回っても楽しいし、うんちく好きの人は、ガイドブック(私たちのは前日ラ・サグラダ・ファミリアの売店で買ったもの)を片手に建物や公園の構造、装飾1つ1つの意図を確かめながら歩けば、さらに楽しむことができるだろう。特に、さまざまな視覚的効果のしかけ、自然との一体化を図った公園内の遊歩道の橋梁、ホセ・マリア・ジュジョールによる広場のベンチのモザイクが素晴らしい。公園なので、音楽家が演奏を披露しつつCDを売っていたり、若者が自作のアクセサリーを黒いこうもり傘をディスプレー台代わりにして売っていたりもした。

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(自然との一体化を図った公園内の遊歩道の橋梁)

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(ホセ・マリア・ジュジョールによる広場のベンチのモザイク)


グエル公園をお昼までたっぷり堪能したあと、バスでカタルーニャ広場まで戻り、カテドラル周辺を見学。このあたりには古い時代の遺構も多く残っており、ローマ時代のバルセロナの門や、カタルーニャ王国時代の宮殿の一部などがある。写真は「王の広場」で、コロンブスが航海から帰ってきたときに、イザベル女王に謁見した場所でもある。

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(大航海時代に思いを馳せる……)

その後、ぷらぷらメインストリートをウォーターフロントまで散歩。土産物店とレストラン以外は店も閉まっているので、世界各国からやってきた観光客ばかりが、大道芸を観たり似顔絵描きの絵を見たりしながら、手持ちぶさたにうろうろ。ちょうど休日の原宿のような賑わいだった。

そろそろ旅行もおしまいということで、ウォーターフロントのショッピングセンターでお土産を物色し、Xocoaのチョコレートなどを購入。自分たちもテニスボールより一回り小さいくらいのトリュフと店のお姉さんおすすめのチョコレートケーキを買って、夕闇迫るバルセロナ港の景色を見ながらいただいた。

その後、さらに海岸通りを歩きながらバルセロナの老舗レストランである7PORTESへ。スペインの夕食時間としては少し早めの7時ごろに到着したが、すでに何組かお客さんが列を作っていた。ちなみにこの店は予約はとらない。名前を告げて待つこと10分くらいいで入ることができた。お店を出るときには長蛇の列ができていたので、早めに行くとよいだろう。

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(海岸通りのエビのオブジェ。バルセロナ五輪のマスコットキャラクターをデザインしたハビエル・マリスカル氏のものだと思うのですが)

店内は、日本にたとえると、木の梁の美しいレトロな雰囲気の、銀座のちょっと高級な老舗洋食店といったところだろうか。ここではお店のオリジナルオードブル盛り合わせと、一人前から頼めるパエーリャをそれぞれ一人前ずつ頼む。しかし「一人前」とはいえかなりの量。日本人なら二人で一人前をシェアするので十分だと思う。そのため「完食」ならず。とはいえまたもやお腹いっぱいになってしまったので、少々遠いが、腹ごなしにホテルまで歩いて帰った。

1月2日(12日目:バルセロナ) 

いよいよ、スペイン滞在の最終日。まずは、31日、1日と見学できなかった、カタルーニャ音楽堂へ行く。この日はニュー・イヤーコンサートが開かれるので、建物内の見学ツアーチケットではなく、夜6時からのコンサートチケットを購入した。

その後、カテドラルの内部を見学して、エレベータで屋根に上る。朝一番だったので一番乗り。天気も上々で清々しく、気持ちがよかった。

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(朝一のカテドラル屋上。尖塔と反対側の十字架)

カテドラル見学のあとは、ピカソ美術館に向かう。お正月休みの国際観光都市とあって、バルセロナではとにかくよく並んだ。ピカソ美術館には40分ほど並んで入ることができた。

館内には、ピカソの子供時代から晩年までの作品が時系列で展示されており、ピカソの軌跡をたどることができた。ピカソが子供のころから天才ぶりを発揮していた様子がよくわかる。また、画学生としての修行時代、パリ時代など、様々な画家や当時のパリの空気や光によく影響された、ピカソの感受性の高さもうかがえる。最後の部屋は、ピカソによるラス・メニーナス。プラド美術館で見たベラスケスの名画をピカソが解釈しなおして描いたものだ。ただ、私は美術の素養がないので、ピカソのラス・メニーナスに描かれた犬は、「お笑いマンガ道場」の江藤クンや、SMAPの中居クンが描く動物の絵にそっくりとしか思えなかったのだが。本当にヘタでも、わざとこう描いても同じというのはヘンな感じ。

*撮影は禁止です。美術館のサイトから13番"Las Meninas"→19番


昼食は、美術館からランブラス通りに向かう途中のバルで、ピンチョスを2人でそれぞれお4種類ずつと生ビール(カーニャ)。

ランブラス通り側のグエル邸は、1月1日まで修築中とのことだったので、2日は新装OPENか!?と期待していたが、案の定まだ修築中だった。

途中、市場があったので、お土産を物色しに入ると、果物店、ドライフルーツやお菓子の店、ハムなどを売る精肉店、鮮魚店が軒を並べていた。奥は、築地のように、市場内の新鮮な食材を使ったピンチョス屋さんやバルが数軒あり、大勢の人で賑わっていた。美味しそう・・・・。ここでお昼を食べればよかったと後悔したが、後の祭りである。また、夫はここで、ユーロコイン柄のアルミホイルにつつまれたチョコをお土産用に買ってしまう・・・。

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(こっちのほうが美味そう・笑)

市場で買い物をした後、デパ地下のスーパーマーケットで、パエリアの缶詰め、ピンチョスの具の缶詰めなどをお土産用に購入。スーパーマーケットは、安くて面白いお土産の宝庫なので、海外旅行に限らず、日本国内の出張のときにもよく利用している。

一旦ホテルに戻って着替え、カタルーニャ音楽堂のコンサートに出かける。外部からは何度も見た音楽堂だが、内部の装飾はそれは見事なもの。建物自体から、美しいメロディーがこぼれ落ちてくるような華やかさである。また、ステージの壁には、竪琴やマンドリンなどの古楽器をもった女神の像(下半身は絵画で、上半身は壁から抜け出るような立体像)で飾られている。仏教でも、琴や琵琶、笛を奏でる天女の浮き彫りや絵画がよくあるが、そのような面持ちである。

こちらも内部は撮影禁止。音楽堂のサイトのこちらからどうぞ。彫刻のディテールなども楽しめます。

演奏プログラムは、ヨハン・シュトラウスのワルツやポルカという、ニューイヤーにふさわしいもの。演奏は正直に言って、ワルツというより行進曲?と思うほど元気が良すぎる小太鼓や、明らかにピアノやスローテンポが苦手なトランペットなど今イチだったが、お正月らしい楽しい演出や、最後はお決まりの「ラデッキー行進曲」での、ステージと手拍子をする客席一体となっての演奏など、とても楽しいコンサートだった。

夕食は、スペインの有名レストランで、と思ったが、予約なしでは当然ながら無理。通りがかりに、多くの人で賑わうバルはいくつかあったのだが、少々疲れてもいたので静かに夕食を食べたい気分だった。そこで、さほど混んでいないレストランに入り、特に美味しくはないが、まぁ、まずくもないレストランでゆっくり食事をして、ホテルに帰った。

1月3日(13日目:バルセロナ) 

そして最終日。早起きしてチェック・アウトしてバルセロナの空港へ。エール・フランスのカウンターには、日本語が上手な人が座っており、緊張せずにすんだ。スーツケースを預け、手荷物検査を受けたあとは、免税店で最後の買い物などをして過ごす。ここで安い(というか妥当な値段の)ユーロコインチョコをみつけて大ショックな夫。私は、ワイン2本と、スペイン料理の本を買うなどした。

パリのシャルル・ドゴ・ール空港は、往路と同様、手荷物検査が厳しく時間がかかる。そして無事成田へ。

(おまけ)

*個人旅行かつ蘊蓄好きの人は、観光局のパンフレットを入手すべし。さらに行く先々で少し先回りして日本語のガイドブックを買うのがオススメ。

*お土産に買った生ハムの塊は、自宅ではおいしい薄さにスライスするのが難しいとのこと。結局、フードスライサーを購入することに・・・。

*これだけ食べて、食べて、食べたスペイン旅行だったが、体重の変化はなし。むしろふたりとも1Kgくらい減ったということで、日頃いかに運動不足かを思い知り、ショック。


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